『子どもたちに語る 日中二千年史』(小島毅 著)ちくまプリマー新書

 近年、日中関係は近現代史上の大きな転換点にある。2010年に中国のGDPが日本を追い抜き、いつの間にか、日中両国の国際社会における政治・経済的影響力も完全に逆転した。今年に入り新型コロナウイルスのパンデミックが将来予測を不透明にしているが、日中の力関係はもはや容易に変わらない。

 日本の停滞への反発か、近年はかえってナショナリスティックな立場から歴史を解釈して日本の偉大さを再確認する動きも活発だ。だが、実際の日本の歴史は東アジア世界との関係のなかでつむがれてきた。

 そもそも、かつて「倭」と呼ばれた国が8世紀初頭ごろから名乗った「日本(日の本)」という国名からして「中国から見て日の出の方角の国」という自己紹介的なニュアンスが漂う。かつての日本は、中国という他者と向き合うことで「日本」になったのだ。

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 本書はそんな中国との関わりを軸に、平易な文体で日本通史を描き切った労作だ。日本に主軸を置く通史なのに、第1章の最初5ページにわたり日本がほとんど登場しないのも、3000年以上も前から文字を持ち、悠久の歴史を誇る中国ならではだ。

 強大な中国から、なにを学びなにを受け入れるか。そして、多分に痩せ我慢の強がりであれ、中国からなにを「拒む」のか。日本が中国と付き合ってきた2000年の歴史は、そんな問いの積み重ねだ。

 日本が19世紀後半以降に近代国家を形成する過程で、自国の独自性や独立性を強調するために創作された「神話」も数多い。

 かつて二度の遣隋使を送った倭の君主・多利思比孤(たりしひこ)(厩戸王〈聖徳太子〉を指すとされるが確証はない)は「日出ずるところの天子、書を日没するところの天子に致す」と隋に手紙を送った。後世の日本ではこれを聖徳太子の対中国対等外交だと褒めそやす。だが、日本側の解釈はさておき、中国から見た日本はその後も長らく朝貢国のひとつでしかなかった。

 平安時代の国風文化も、中国からの輸入文化が遣唐使の停止以降に日本風(国風)の文化に転じ、日本独自の文化に置き換わった――。といった説明が、近年までなされてきた。だが、実態は前時代までの唐風文化(弘仁・貞観文化)の発展の延長上にアレンジが加えられたものだ。当時の東アジアのグローバル・スタンダードである唐文化が規範的な存在であることが前提のうえで、それとは異なる日本古来のことばや歌にも目を向けてみよう。それが国風文化だった。

 日本の国力が中国に優越した状況は、日清戦争から2010年ごろまでの近現代1世紀余りの期間に見られた特異な現象でしかない。今後の力関係は逆転し、嫌でも中国が日本に優越する時代を迎える。新しい時代を生き抜くため読んでおきたい一冊だ。

こじまつよし/1962年生まれ。東京大学大学院修士課程修了。東京大学大学院教授。専門は中国思想史。主な著書に『儒教の歴史』『増補 靖国史観』『父が子に語る日本史』などがある。
 

やすだみねとし/1982年、滋賀県生まれ。ルポライター。『八九六四』で城山賞、大宅賞受賞。近刊『もっとさいはての中国』。