数々の苦労を経て、やっとのことで手に入れたプロレスラーの地位。しかし、発覚した母の借金、そして父の自殺……。
廃業を決意し、行く当てもなくさまよっていた井上勝正は、いかにしてカリスマ熱波師になるのか――。波乱万蒸の人生、後編。
<「泣き叫ぶ母と父を下ろして……」イジメ、父からの暴力、闇金、そして……カリスマ熱波師の人生は壮絶だった から続く>
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父の自殺をきっかけに、人生の階段を降りかけた井上を押しとどめたのは、プロレスの仲間達だった。
「親父のことを電話で伝えたら、当時の登坂栄児統括部長(現・大日本プロレス社長)が絶句して嗚咽しちゃって。『井上さんがプロレスできなくなるというのは、絶対させない』って言ってくれましたね。他にも色んな人から電話をいただきました。世話になっている方々に悲しい思いをさせるのは苦しかった。
後になって母親とふたりで話した時に、『あの時は大変だったなぁ』だなんて笑ってましたけどね。あの時はほんと辛かった」
プロレスラー“引退”ではなく、“廃業”
周囲の協力もあってそこからキャリアを続けたが、ほどなくして“廃業”を決意した。身体はもうボロボロだった。
「もともと靭帯も断裂しているし、試合中に踏み込みが遅れたりすることがしょっちゅうあったんです。それで改めて全身を医者に診てもらったら右目視神経症という難治性の負傷が発覚しました。右半分がほとんど見えていない状態で、これはもう廃業だなって。“引退”という言葉をあえて使わなかったのは、その後も業界に残って後進の教育とかできる人だけが使える言葉だと思ってるからなんです。
父が死んだことも精神的に大きかったし、身体的にもこれ以上プロレスを続けることはできませんでした」
まさに人生山あり谷あり。運命に翻弄されるとはまさにこういうことを言うのだろう。家族、金、身体、プロレス……。すべてを失った井上は、ぼんやりと父の軌跡を追うように、あてどなく大阪に帰るしか術はなかった。しかし、そんな井上にまたもや人生の転換期がおとずれる。
「『おふろの国』の林和俊店長がプロレス好きで、よくイベントで大日本のレスラーを沢山使ってくれていて。事情を知った林さんが大日本プロレスの登坂社長と話してくれて、『よかったらうちの会社にきませんか』って誘ってくれたんです。
最初の仕事は閉店後の清掃で、毎日深夜1時半くらいから作業はじめて朝9時までびっちり。精神的にも肉体的にもしんどくって、体重が30キロ以上落ちました」
こうして「おふろの国」で働き始めた井上。初めはお風呂の清掃だけだったのだが、思いもよらないところから“サウナとの再会”を果たすこととなる。
「清掃だけだと収入的にもちょっと厳しいっていう話をしたら、林さんから『熱波っていうのがあるんで、よかったらやってみませんか? たまにやってもらったらいいんで』って言われて。そこが最初でした」