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終戦翌年から戦災復興の視察として全国を訪問された

そして、1989年1月7日、昭和という時代が終わると、皇太后となられました。

1980年代には老人性の認知症が進んだようで、昭和天皇の一連のご葬儀の行事には参列されず、平成になるとお出ましはご静養くらいで、国民の目に触れることはほとんどなくなりました。

「相談したいことがある」宮内庁総務課長からの連絡

私にとっての強い思い出は、皇太后として11年過ごされて迎えた、20世紀最後の2000年の2日間です。

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1999年7月に私は宮内庁担当となりました。2000年5月から6月にかけて、当時、天皇皇后両陛下だった上皇ご夫妻がオランダなど4カ国をご訪問されるのに、私は幹事団の副団長として同行しました。

幹事団とは、ご訪問に際し、記者団のまとめ役として記者会の幹事が担当するもので、私はこの年の6月と7月のテレビ部会の幹事をすることになっていたため、幹事団の一員となりました。

4カ国への国際親善の旅は無事に終了し、6月1日に日本に帰国しました。それからは大きな行事もなく、ある意味で平穏な幹事としての日々を送っておりました。

ヨーロッパ4カ国を訪問された上皇ご夫妻

6月15日は天候もよく穏やかな日で、記者会の仲間とともに皇居を抜け出して昼食をとっていました。そこに、宮内庁総務課長から「幹事社に相談したいことがある」との連絡が入りました。

宮内庁総務課長は、記者会の窓口トップの役職です。新聞部会の幹事社である日経新聞と共に総務課長室を訪れました。

4カ国訪問からそう時間も経っていなかったことやご訪問で総務課長にいろいろとお世話になったこともあり、最初は笑顔で思い出話をしていたのですが、総務課長から突然、「これから本題ですが…」と神妙な顔で切り出されました。

「皇太后陛下のご体調に異変があり、説明をしたい」

この頃、宮内庁と記者会とでは、皇太后さまに38℃以上の発熱や体調に異変があった場合には会見をする、との約束ができていました。こうした体調に関する会見はそれまでにもあり、大事には至っていませんでしたが、やはり97歳のお誕生日を3月に迎えた皇太后さまの異変には、嫌な雰囲気を感じずにはいられませんでした。