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「国母」と慕われた香淳皇后 崩御から20年…宮内庁担当記者が見た最期の2日間

source : 提携メディア

genre : ニュース

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この会見を開くという話は、日経新聞とフジテレビから各社に伝えられました。

会見は各社が集まれる時間に行われるため、伝えてから会見が始まるまでに2時間ほどあったかと思います。その間に宮内庁の各所から、これまでとは違い緊張感ある情報が入ってくるようになりました。

そして会見では、皇太后さまがただならぬ容体だと伝えられたのです。

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皇太后さまをお世話する皇太后宮大夫の会見は、午後5時から始まりました。内容は、14日の深夜から呼吸不全の症状が見られ、15日の午後から呼吸器が外せない状態になられたというものでした。

談話室で寛がれる香淳皇后

実は、このちょうど1カ月前の5月16日、私たちは皇太后さまのご様子を拝見しています。

皇太后さまが、皇居の吹上大宮御所からご静養のため、葉山へバスで移動される姿を拝見したのです。バスの中央で、表情なく真っ直ぐ前を見ていらっしゃいました。

皇太后さまは、この頃には認知症が進んでいて、お仕えする人たちの様子も聞いていました。しかし、バスに乗る皇太后さまには何ら異変は感じず、むしろお元気そうにも見えていました。

葉山御用邸に到着したバス車内の香淳皇后

長期戦も覚悟…病状を見守った記者たち 

皇太后さまの異変は、テレビでは夕方のニュースから報道が始まりました。

記者会では宮内庁に対し、要望をまとめて提出することになりました。まとめるのは幹事社の役目です。宮内庁は前例主義なこともあり、記者会がまとまって交渉する必要がありました。

テレビ部会では、中継車を宮内庁に入れられるようにする要望、病状をテレビで伝えるための講堂での会見の要望、そのために中継機材を講堂に据え置けるようにする要望などがまとまり、宮内庁に申し入れをしていきます。

中継代表をNHKが担当してくれることになり、ENGと呼ばれるカメラは各社で代表を分担していくことなどが決まりました。各社の記者は泊まり込みとなります。

昭和天皇は、体調を崩してから約100日後に崩御されています。私たちも長期戦を覚悟しなければなりません。本社と体制を確認しながらも、まずは私ともう1人、宮内庁の前任者で対応し始めました。