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そして、その治療方針に上皇ご夫妻も賛同されていたという話でした。昭和天皇が約100日間、治療を続ける姿をご覧になった上皇ご夫妻の思いだったような気がします。
ある宮内庁幹部は、「20世紀を生き抜いた方」「これで本当に昭和は終わった」などと感想を述べています。また、ある新聞記者が「16日朝刊で重体、16日夕刊で危篤、17日朝刊で崩御。こんなに短く逝かれるとは…」と言っていたのを覚えています。
追号奉告の儀で、上皇ご夫妻は「香淳皇后」という名前を贈られました。日本最古の漢詩集『懐風藻』から、お印の「桃」にちなんだ諡(おくりな)でした。
本葬にあたる斂葬の儀は7月25日に豊島岡で行われ、ご遺体は東京・八王子市にある武蔵両墓地の武蔵野東陵(むさしののひがしのみささぎ)に葬られました。
そして、2020年6月16日、武蔵野東陵で行われた「香淳皇后二十年式年祭山陵に奉幣の儀」には、秋篠宮家の長女・眞子さまと次女・佳子さまが皇族を代表して参拝されました。
そのお姿を見ながら、あの時から20年という月日の流れの速さを感じました。たった2日間の出来事でしたが、私が歴史の1ページを見たこと、そして、今や歴史の中の1人になってしまった香淳皇后が、私にとっては、「良子さま」という方が、皇室の中に大きな存在として実存したことを実感させていただいたことを思い出しました。
【執筆:フジテレビ 解説委員 橋本寿史】