辻が“妙薬”として飲ませたのは「人間の肝」?
杉森久英「辻政信」には、辻が「妙薬」を持っていて、もらった人間もその効果を認めていたという記述が。
「美山(要蔵中佐)は昭和17年3月、シンガポール攻略の直後、大本営から南方に連絡で派遣されたが、(現ミャンマーの)ラングーン(現ヤンゴン)の手前のチャイトに一晩露営したところ、盲腸炎か何かだったとみえて猛烈な腹痛を覚え、下痢と嘔吐を繰り返した。ふらふらになってシンガポールに着き、辻からもらった妙薬を飲んだところ、たちまち元気になった。
昭和18年、同盟通信(共同通信と時事通信の前身)特派員として(現パプアニューギニアの)ラバウルにあった小野田政は、ある日、記者会見でガダルカナルから撤退してきたばかりの辻参謀から前線の様子を詳しく聞いた。その時、辻は印籠のように腰に下げている、コチコチに干からびた黒い物を見せて『これはアメリカ兵の肝だ。臥薪嘗胆という言葉があるが、僕はこれをなめながら生き延びてきた。これは大変に栄養があって、少しくらい絶食しても、これさえなめていれば元気を保っていられる』と言った。それはちょっと見ると、原住民の作るヤシ細工かと思われるような黒くて小さなものであった。辻が妙薬として人にのませたものも人間の肝だったといわれる。ある人は肝と知ってのみ、ある人は知らずにのんだ。
いずれにしろ、辻の妙薬はよく効くという評判が立って、辻製薬という戯称は有名になった」。
同書は「人間の肝をなめなめ戦闘を指揮するくらいのことはやったかもしれない」としつつ、真偽は不明とし、「彼のファンの間では痛快な人物という評判がいよいよ高くなったが、彼を憎む男たちの間では、何か不気味な、陰惨な、妖怪じみた男のような印象を濃くしていったのである」と述べている。
「人に後ろ指さされたくない。仲間外れになりたくない」と思う集団心理
さらに「辻政信」は書く。「戦争中の日本人にとって米英は鬼畜であり醜虜(醜い虜囚)であって、その肝や肉を食うことが人道上の大罪だなんてとんでもないことであった。おめおめと生き恥さらして捕虜となった外人将兵は、その臆病と卑怯未練をさんざん笑ってやるべきであり、それを『おかわいそうに』と呼ぶなんて言語道断であった。そういう空気の中では、白人の肉一片をさえ口にできぬ男はよくよくの臆病者であり、それを試食することを提案した辻政信は最も古武士的な、勇敢なる日本人の典型であった」
ここで書かれているお「おかわいそうに」とは、太平洋戦争前期、アメリカ人捕虜が列を組んで市街地を通ったのを、ある上流婦人が見て「おかわいそうに」と口走ったことから、大本営報道部の中佐が放送で 「敵に同情するのは心の中にアメリカが住んでいるから」と非難。同意する世論が巻き起こったという出来事(内海愛子「日本軍の捕虜政策」)。
戦時中はそうした人道的な思考がよってたかって袋だたきにされた時代だった。人肉食をめぐる問題の核心もこのあたりにあるのではないか。父島事件の経緯を見ても、深刻な飢餓状態ではなく、人間の肉を食べなければならない必然性はなかった。将兵にあったのは、敵に対する強烈な敵愾心と「生きては帰れない」絶望と不安、それらに追い詰められた中で「勇気がない」「臆病者」と言われることへの強い恐怖心だった。人肉食は「肝試し」のようなものだったのかもしれない。
誰もが「人に後ろ指さされたくない。仲間外れになりたくない」と思う集団心理。そう考えると、コロナ禍で「自粛」の同調圧力にあえぐいまの日本社会にも似たような問題がありそうだ。もちろん「捕虜虐待、殺害、人肉食」は平和な時代の人間にとっては想像を絶する事態だが、それを取り巻く事情をよくよく見れば、75年後に生きる私たちにとっても全く無縁ではないことのように思えてくる。
【参考文献】
▽国士館大学法学部比較法制研究所監修「極東国際軍事裁判審理要録第5巻」 原書房 2017年
▽「日本近現代史辞典」 東洋経済新報社 1978年
▽防衛庁防衛研修所戦史室編著「戦史叢書 本土方面海軍作戦」 朝雲新聞社 1975年
▽土屋公献「弁護士魂」 現代人文社 2008年
▽岩川隆「孤島の土となるとも BC級戦犯裁判」 講談社 1995年
▽小田部雄次・林博史・山田朗「キーワード日本の戦争犯罪」 雄山閣 1995年
▽野村正男「平和宣言第一章 東京裁判おぼえがき」 日南書房 1949年
▽杉森久英「辻政信」 文藝春秋新社 1963年
▽内海愛子「日本軍の捕虜政策」 青木書店 2005年