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終戦、75年目の夏

2020/08/16

 見るに堪えない記事だったが、なぜか3日続いた後、ぱったり出なくなった。不思議に思っていると、記者がやってきて「大変なことになりましたよ。アメリカ本土の母親たちが連名で大統領に訴えたのです。『息子は名誉の戦死をしたものと信じていたが、敵に食べられてしまったとは聞くに堪えません』というのです。この母親たちの悲痛な訴えで、大統領が『カニバリズム』関係の記事の掲載を禁止したのです」と説明したという。

「パイロットは処刑されて当然。人肉は戦意高揚のために食した」

「父島人肉事件の封印を解く」によれば、立花中将は全てを否定。殺害にも人肉食にも関与しておらず、何も知らなかったと主張した。態度は最後まで毅然としていたという。的場少佐は最初は部下がやったことだと主張したが、やがて全てを認め、宴会の様子なども詳しく供述した。

 それに対し、吉井大佐は「全て自分がやらせた」と認めた。「小笠原兵団の最後」には、疑いをかけられてグアムに連行された海軍父島特別根拠地隊参謀の海軍少佐に漏らした「Y大佐」(吉井大佐)の言葉が載っている。「君は心配ないよ。近くここから出られると思う。森司令官、篠田防備参謀に、罪を背負うのは一人でたくさんだから、全部俺に(罪を)着せるようにと伝えてくれたまえ」。吉井大佐は法廷でも「無差別爆撃をする米空軍が悪い。パイロットは処刑されて当然。人肉は戦意高揚のために食した。命令は全て自分が出した」と主張して非を認めなかったと秦郁彦「人肉事件の父島から生還したブッシュ」(「昭和史の謎を追う」所収)は述べている。

 同論文は、アメリカのジョージ・ブッシュ第41代大統領(パパ・ブッシュ)が1944年9月、爆撃機のパイロットとして父島攻撃に参加。撃墜されて海上に落ちたが、潜水艦に救助されたことを書いている。

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「猟奇の感を免れないが、法的にはいわゆる“死体毀損・侮辱”」

 同論文によれば、グアム裁判の被告は、遅れて起訴された寺木見習医官らを含めて27人。うち死刑判決は陸軍が立花中将ら4人、海軍は吉井大佐1人だった。森中将は終身刑だったが、前任地のオランダ領インドネシア(当時)での裁判で捕虜虐待で死刑に、ほかに終身刑が陸軍4人、有期刑が陸軍10人、海軍5人。無罪は陸軍2人だけだった。

 ただ、グアム裁判は、責任者だったマーフィーというアメリカ海軍大佐の意向で、当時新たに作られた裁判規定をできるだけ避け、従来の海軍軍事裁判のルールや手続きを尊重。日本人被告に対してもアメリカ人被告と同様の権利を与え、「海軍独自の公平な裁判を行いたいという態度が見てとれた」と岩川隆「孤島の土となるとも BC級戦犯裁判」は一定の評価をしている。それは法の適用にも表れており、「人肉嗜食という行為は一般的には猟奇の感を免れないが、法的にはいわゆる“死体毀損・侮辱”という種類のもので、グアム法廷の長であるマーフィー大佐も特にこれを訴追しなかった。まがりなりにも、感情と法は別、という態度がみてとれた」(同書)という。

 こうして未曽有といっていい人肉食裁判は一応終わったが、それにしても、それから75年後の時代を生きる私たちにとって、人肉食はもちろん、捕虜虐待・殺害という行為さえ、にわかには理解し難い。どうしてそんなことができたのだろうか――。戦後生まれの筆者にとっても難問だが、1つずつ要因を検討してみよう。