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 物語は、オリンピック取材のためベルリンを訪れた通信社記者の峠草平が、ある事件に巻き込まれ、前後して神戸で起こった別の事件とあわせてミステリー仕立てで展開していく。事件はいずれもナチスの総統であるアドルフ・ヒトラーの出生に関する秘密文書をめぐって起きたものだった。文書には、ヒトラーにユダヤ人の血が流れていることが記されていた。国を挙げてユダヤ人迫害を推し進めるヒトラーにとって、その事実があかるみに出れば失脚しかねない。そのため峠は文書の存在を知ってからというもの、ゲシュタポ(ナチスドイツの国家秘密警察)幹部に狙われ、日本に帰国してからも特別高等警察(特高)の刑事に追われ続ける。

 ヒトラーの秘密は、神戸に住むドイツ領事館員の息子のアドルフ・カウフマンと、ユダヤ人のパン屋の息子であるアドルフ・カミルも知るところとなる。2人のアドルフ少年は、秘密の公表をもくろむ峠ともさまざまな形で関係していく。この間、日中戦争が始まり、さらにドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発、ナチスがヨーロッパ全土に勢力を広げるにしたがい、ユダヤ人への迫害はさらに残虐をきわめた。登場人物たちはそうした時代の激流に翻弄され、数奇な運命をたどっていく。

「思い通りに描けたという点では『アドルフに告ぐ』が一番」

 本作で描かれたのは、1928年生まれの手塚自身が青少年期をすごした時代であり、主舞台のひとつとなる神戸も郷里・宝塚にほど近く、馴染み深い場所であった。それだけに執筆にはよけい力が入ったはずだ。連載終盤、手塚は急性肝炎と胆石のため入院して2ヵ月間休載し、再開後はかなり駆け足で最終回(1985年5月30日号)を迎える。単行本は、連載では描き足りなかったところを加筆して、1985年5月から11月にかけて全4巻が刊行された。手塚はこれより前、『ブッダ』を連載中、掲載誌の版元の潮出版社に単行本をハードカバーで出せないかと打診したことがあったというが(※2)、その希望は『アドルフに告ぐ』でようやくかなえられる。

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1985年に発売された単行本『アドルフに告ぐ』の第1巻

『アドルフに告ぐ』は、舞台が日本とドイツを何度となく往き来し、登場人物も多数にのぼるにもかかわらず、読者は混乱することなく、グイグイと物語に引き込まれずにはいられない。ラストまで緊張感を保ちつつ、ときにはメロドラマのような男女の恋愛も描かれる。アセチレン・ランプとハム・エッグという手塚マンガの最初期からの2大悪役キャラが、それぞれゲシュタポ幹部と特高の刑事として登場したのも、往年のファンを喜ばせたことだろう。手塚のストーリーテラーぶりとともに、その引き出しの多さに驚かされる。

 手塚自身も、本作には達成感を抱いていたようだ。完結した翌年のインタビューでは、本作の狙いは、全体主義国家の指導者が叫ぶ正義の正体とは何かということだと述べ、《それを追求していくと、一種の国家エゴイズムに突き当る。これはぼくの昔から好きなテーマでして、これまで繰り返し描いてきているんです。ただ、思いどおり描けて成功したという点では『アドルフに告ぐ』がいちばんでしょう》と語っている(※3)。