真珠湾攻撃の“陰謀論”も否定されている
『アドルフに告ぐ』では途中、実在のドイツ人ジャーナリストでソ連の諜報員として活動したリヒャルト・ゾルゲも物語に絡んでくる。1933年に日本に派遣されたゾルゲは諜報機関を組織し、日本の政治・外交・軍事に関する情報を探った。しかし、その動きは1941年、太平洋戦争の開戦前夜に当局の知るところとなり、彼は、近衛文麿内閣のブレーンだった評論家の尾崎秀実(ほつみ)など多数の関係者とともに検挙される(ゾルゲ事件)。手塚は執筆にあたり、尾崎の異母弟で、ゾルゲ事件についても著作がある文芸評論家の尾崎秀樹(ほつき)にも取材した。尾崎秀樹の述懐では、手塚と一緒にゾルゲたちが立ち寄ったという銀座のケテル・レストランにも赴き、女主人のエリゼ・ケテルに話を聞いたという(※6)。余談ながら、『アドルフに告ぐ』に峠の協力者として登場する仁川刑事の風貌が、どこか尾崎秀樹を彷彿とさせるのだが、筆者の気のせいだろうか。
このように『アドルフに告ぐ』では史実が資料や取材にもとづき描かれたが、そのなかには現在は否定されているものもある。たとえば、日米が開戦にいたった真珠湾攻撃のくだりでは、時の米大統領フランクリン・ルーズベルトは事前に攻撃を知っていながら、ハワイには故意に知らせず、太平洋艦隊をオトリに使ったものとして描かれている。こうした陰謀論は1950年代よりたびたび登場しては、毎回、論拠が成り立たないと退けられてきた(※7)。
また、比較文学者・映画史家の四方田犬彦は、本作のエピローグについて厳しい見方を示している。そこでは舞台が第二次大戦後の中東に移り、アドルフ・カウフマンはナチスの残党として、ユダヤ人の建国したイスラエルと敵対するパレスチナゲリラに参加した末、かつての親友アドルフ・カミルと一騎打ちにいたる。四方田は、ナチスの残党がアラブ側に加担してイスラエルに銃を向けるという発想の原点は、1950年代のイスラエルのプロパガンダ映画にあるのではないかと指摘したうえ、《パレスチナ解放闘争とナチスの残党を、さしたる考えもなく結合させてしまう手塚治虫の態度には、強い疑問を持っています》と批判した(※8)。手塚が1989年に亡くなって以降もその膨大な作品群はなお読まれ続け、影響も大きいだけに、こうした思想、イデオロギー面での検討は今後の課題だろう。