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バッシングに正面から応えた18歳の川口春奈

 不倫を疑って主婦と若い女性が争う物語の冒頭で九州弁の魔女が現れ、「おなご同士が争うことが、オイはいっちょん好かん。まっと助け合わんとね。つまらん争いばしとるけん、本当の敵ば見失うとよ」「物事はなんでん相手の立場に立って考えてみることが大切ばい」と2人の魂を入れ替える導入を、荒唐無稽、子供だましと笑うことは簡単だ。明治大学文学部でフランス文学を専攻した作家、垣谷美雨にとってもそんなことは百も承知だろう。

 だがこの作家はそんな揶揄を恐れないかのように常に平易に、改行を重ねて見やすく、漢字は少なく、文学めいた気取りのない口語体で小説を書く。それは垣谷美雨が自分の小説を、大学の文学部にたどり着けなかった読者たちにも読める文学、現代の寓話として書いているからだ。垣谷美雨が書く物語は、多くの女性読者に届く。専業主婦にも、企業で働くOLにも、そして当時18歳の女優、川口春奈にも。

 ほとんどバッシングの域にまで達した当時のメディアの揶揄と嘲笑の中で、18歳の川口春奈は『夫のカノジョ』という物語に絶対の自信を持っていた。もちろん視聴率が低いからと言って主演女優が脚本に責任を転嫁することは通常ない。だが、川口春奈は当時のバッシングに正面から挑戦するように、「内容は素晴らしい。見てもらえれば必ずわかるはずだ」とあらゆるインタビューで繰り返した。

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 ついには当時の主演映画の初日舞台挨拶の場で自ら放送中のドラマについて触れ、「数字で判断されるのは怖いし悔しい。(ドラマに携わる)みんなが、いい作品を作っているって心から思っています。すごく明るくて楽しい作品なんです。映画と共にたくさんの人に見て欲しいです」と訴えた。初日舞台挨拶が映画のために用意された場であることを考えれば、それは興行の慣習として異例というか、かなりきわどい行為だったはずだ。

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 ドラマ版の『夫のカノジョ』は、原作小説に比べれば、より規模の大きな視聴者に馴染むよう、そのメッセージ性を弱めている。引用した魔女のセリフもドラマでは別の言い回しになっているし、川口春奈が演じる20歳の非正規雇用女性、山岸星見が母子家庭の貧困の中で育ったという設定も、キャリアマザーと娘の軋轢に置き換えられている。しかも視聴率の低迷によって放送は短縮され、放送は8話で最終回となった。

 脚本の調整で2人が元に戻るところまでは形にできたとは言え、ドラマが放送途中に短縮されてしまえばクライマックスで語るはずのメッセージが膨大にこぼれ落ちてしまったことは想像に難くない。だが、渡辺えりと鈴木砂羽という、女性表現において日本の俳優界で重要な意味を持つ2人の名女優とともに演じたこのドラマを、川口春奈は本当に愛していた。

 2014年に刊行されたフォトエッセイのインタビューの中で、ドラマについて彼女は「キャストやスタッフの方々も必死に頑張っていて、みんなが胸を張って仕事をしているのに、なかなか結果に結びつかないこともあって…(中略)でも、たとえ上手く行かなかったとしても、まわりに惑わされず、誇りを持って、自分に与えられた役割を最後までやり遂げることが大事なんだ、と思うようになりました。この間監督とも話したんです。『もしチャンスがあったら、絶対にリベンジしよう!』って」と語っている。