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伊勢谷に「乗り越え帰ってきて」…吉永小百合の一言が起こした「前代未聞のドミノ」

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2020/09/15
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 しかしながら、『麻雀放浪記2020』がコアな映画ファン向けのエッジの効いた作品であったのに対し、『いのちの停車場』は幅広い年代を客層に想定したヒューマンドラマである。『麻雀放浪記2020』の会見が公開まで1ヶ月を切った後がない状態だったのに対し、『いのちの停車場』の公開は2021年、まだ公開日も正式には決まらない撮影中の段階だ。

 今作にも出演する松坂桃李主演の松竹配給映画『居眠り磐音』がピエール瀧の出演部分を奥田瑛二という遥か格上の名優で撮り直したような手段を取る時間もあったろうし、そもそも「対応を検討中」と保留して他社の出方を見たところで東映を責めるものはいなかっただろう。

ピエール瀧 ©文藝春秋

なぜたった3日で迷いのない決断をできたのか

 だが他の選択肢がいくらでもある中、東映新社長は逮捕からわずか3日で「ノーカット公開」を記者の前で宣言することを決断した。映画はテレビやCMと違い、見たい観客が有料で見るクローズドなメディアであること、作品と俳優の罪は別であることを報道陣に説明する手塚新社長の落ち着いた声は、まるで何度も訓練を繰り返した災害対応を思わせた。

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 それは『スケバン刑事』などのドラマを手掛けた、東映では異例のテレビ畑出身社長による「映画にはテレビにはない特性がある」という信念に裏打ちされた会見だったのかもしれない。おそらく新社長はテレビの厳しい規制の中で「映画ならここを通せるのに」という思いを重ね、また去年の事件に対する先代社長の対応を見ながら「もし自分の時に同じ事件が起きたらどうするか」と腹を決めていたのではないか。そう考えなければ、たった3日でここまでの迷いない対応はとても取れないように思えた。

 いくらでも逃げを打てる場面で、東映は他社に先駆けて最初にオピニオンを表明するリスクを取り、映画界をリードすることを決意したのだ。