1ページ目から読む
5/5ページ目

みようみまねで、なんとかやってきた良太の強さ

 良太は小学生のころ、わたしよりもまっすぐ歩けなかった。わたし以上に注意力散漫で、すぐに道路に飛び出すから、ずっとパーカーを着せられていた。母やわたしが、いつでもフードを引っぱって、無理やりにでも飛び出すのを防ぐためだった。

 言葉も慣習もわからない。思っていることをうまく伝えられない。

 そんな良太を、わたしは、助けてあげなければいけないと、きっと心のどこかで思っていた。

ADVERTISEMENT

 でも、良太は良太なりに、24年間を生きてきて、いろんな「みようみまね」を覚えていたのだ。

 だれに笑われても、あわれまれても、まったく気にせず。

 もぐもぐ食べて、すやすや眠り、げらげら笑い、大人になっていた。

 そして、わたしを助けてくれた。

 だれにも、なにも、教えてもらっていなかったはずなのに。

 もしかして、助けてあげなければいけないどころか、良太はわたしよりたくましい存在かもしれないと思った。

 たとえば、いまこの世界に、空から宇宙人が襲来してきたとして。

 言葉も文化もわからない宇宙人に、人類はパニックになるだろう。

 争いか差別かが、きっと起こるはずだ。受け入れることは、はねのけることよりはるかにむずかしい。

 でも、きっと、人類でだれよりもはやく彼らと共存できるのは、良太なんじゃないか。

 だって、良太にとっては、当たり前だったから。

 なにもわからなくても、みようみまねで、なんとかしてきたから。

 なんとかする、という自覚すらないまま、限りなく自由に、生きてきたから。

 そういう、世界規模で強い人間が、身内にいたってことに、感動をかくせなかった。

©️iStock.com

どん底まで落ちたら、世界規模で輝いた

 ずいぶん話が飛躍したので、戻そう。

 良太の強さを目の当たりにして、わたしは目が覚めた。人と同じようにできない自分を、迷惑をかけている自分を、恥ずかしく思ったり、情けなく思ったりしていたのは、だれでもない、自分だった。

 他人じゃない。全部を自分のせいだと決めつけて、勝手に落ち込んでいたのも、自分だった。でも良太を見てみろ。当たり前のことをうまくやれなくたって、彼の人生はうまくいってる。楽しくやれてる。楽しくやらない方が、損なのだ。両替するために、コーラだって飲んでいいのだ。

 とんでもなく楽しい旅行を終えたとき。わたしはなんとなく「ああ、もう大丈夫かも」と思った。その直感はあたっていて、少しずつ、少しずつ、大丈夫になった。

 それからしばらくして、わたしは会社へと復帰した。良太のみようみまねで、くよくよ悩むことをやめてみた。人の目を気にすることをやめてみた。

 あのとき、良太が買ってきたコーラは、一口もわたしにくれなかったけど。

 もしかして両替っていうより、自分がただ飲みたかっただけじゃないの、ってちょっとだけ思ったけど。

 宇宙人の襲来を心のどこかで願いながら、旅を終えたわたしは、今日も元気に、みようみまねで生きている。