懲役までいくと、周囲の人たちの反応がガラッと変わる
「特に問題はなかったんですけど、なんとなくイヤな予感がしたので、友達に『もうやめよう』と、僕から言ったんです。それで片付ける準備を進めてたんですけど、その友達から『ちょっと部屋を見てきてほしい』って言われて、部屋に行って確認してたらいきなり警察に踏み込まれてその場で逮捕されました」
当然だが、大麻は所持だけでなく、栽培しているとより罪が重くなる。
「裁判では営利目的がつくかどうかで争ってたんですけど、懲役は覚悟しました。結局、営利はつかなくて、求刑が4年半で判決は懲役2年ほどの実刑。未決で裁判してる期間が1年半くらいあったので、刑務所には入ったんですけど、半年くらいで出てこれました。ただ社長がいくらおおらかでも今度は解雇されましたね」
この懲役期間で、さすがに自らの人生と行動を反省したという。
「やっぱり懲役までいくと、周囲の人たちの反応がガラッと変わるんです。近所にも知れ渡るし、同級生とか昔の友達も離れていった。なによりも親や親戚に迷惑をかけてしまった。これは生き方を変えなきゃと思って、大麻コミュニティの仲間たちとは距離を置きました。それで行く所もないので実家で暮らしはじめたんですけど、最初の数カ月はいろいろ考えて眠れなかったですね」
いつまでも実家で面倒をみてもらうわけにはいかない。仕事を探そうと思っても、職歴もなく、何のツテもなかった。
前科があるので、会社の法人口座が作れない
「その頃、地元の床屋さんに行ったんですよ。そこで髪の毛を切ってもらってたら、横に兄の知り合いがいたので、挨拶したんです。その人が内装業をしている社長さんで、『よかったらウチで働かないか』と声をかけてもらって。自分のいままでの経歴とかも話したんですけど、それでもいいと言っていただけて、修業させてもらえることになったんです」
その内装会社で社員として働いて腕を磨き、5年後には独立を果たすこととなった。
「この独立するときが一番大変でした。僕に前科があるので、会社の法人口座が作れないんです。登記して、書類を整えて口座を作る段階になっても、審査が滞ってしまう。最後は地元の信用金庫にお願いしたんですけど、そこはウチの親が家を建てるときにもお世話になったりとか、いろいろ関わりがあったので、なんとか認めていただいて。
あと、事務所や家を借りるのも難しいです。僕の名義だと年収1000万以上あっても、家賃8万円の1ルームですら借りられない。嫁の名義で借りましたけど、僕一人で、なんの繋がりもなかったら独立は難しかったかもしれないですね」
社会復帰のハードルはそれなりに高かったようだが、尾形さんは、思ったよりは受け入れてもらえたと感じている。
「一般人でも、仕事を選ばなければ、勤めに出て、社会復帰するまでは誰でもできると思います。でも、そこで手を差し伸べてくれる人がどれだけいるかは大きいですね。それは芸能界も同じなんじゃないでしょうか。ただ、元の仕事や生活に戻りたいのか、それともぜんぜん違う道を歩むのかで難しさは変わってくると思います」