「お願いだから母には内緒に」
さて、私にもお母さんがいます。ただ、病院が遠かったことと、何よりも母がいると私がひどいことになるとわかっていたので、「お願いだから私が病気になったことは母には内緒にしてくれ」と旦那に頼んだのです。
たとえば、ひらがなよりも象形文字である漢字のほうが、イメージを掴みやすいので、リハビリではまず漢字を学びます。日本人は子どもの頃から、漢字、ひらがな、カタカナを使って言葉の意味を理解してきましたが、失語症の患者にとって、日本語に漢字があることは本当に助かります。ひらがなの組み合わせよりも、漢字のほうが、意味がわかりやすかったからです。もしも英語だったら、最初っからABC……とアルファベットを学ぶので、より大変だったろうなと思います。
でも、もしも私の母がそばにいたら、毎日毎日「“あいうえお”からやんなさい」といって聞かなかったでしょう。思い込みが激しいからです。
子どもを産んだときも、母には生まれた後に連絡しました。今回も、私がギリギリで頑張っているときに、母がいたらたまったもんじゃありません。私の母は、テイラー博士のお母さんのような人ではないからです。
結局、旦那から母に伝えてもらったのは退院直前の四月。彼女は絶句したそうですが、私の言語障害がひどいので、いまは病院にはこないでほしい、と旦那が丁寧に伝えてくれました。
今回のテーマは「私が言葉をどう取り戻していったのか?」「私は何をできるようになったのか?」でした。脳の病気になって以来、できないことばかり。周りの人たちのおかげでなんとか生きてきました。
左脳の四分の三で送る生活は困ったこともありますが、言い換えれば、私はあの世に左脳の四分の一を置いてきたとも言えます。それによって、たとえば、色が鮮やかになるとか、匂いに敏感になるとか、ストレスが少なくなったとか、月が青く見えるとか、驚くべき変化がいろいろあったのでした。
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しみずちなみ/1963年東京都生まれ。青山学院大学文学部卒業後、OL生活を経て、コラムニストに。著書に『おじさん改造講座—OL500人委員会』(文春文庫)など。
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