東京温泉。1951年創業。サウナ業界の始祖たちがみな手本とした日本最初の温浴施設である。銀座のど真ん中、現在の銀座6丁目にあった。
「その時のコンセプトはね、『戦争に負けた日本人も豊かになれる場所』。それまで戦後復興でそういう状況じゃなかったからね。当時としては非常に豪華な設備を作ったんですよ。それが昭和27年に道頓堀に作った、難波のニュージャパンスチームバスセンターです。
親父はちょっと外国かぶれしてて当時『ハウス&ガーデン』という英国の雑誌が好きで。その雑誌を見たらすごく豊かな生活が載っているじゃないですか。そういうのを人に与えたいというので、当時にしたらロビーを広くとって。
当時のシステムはね、お客さんが入る時に女性がロビーで待ってるんですよ。担当の女性がお客様をロッカーにお連れして着替えを手伝って。それで箱蒸しへ入っていただいて、10分か15分ほど蒸して。その間にお客様に水を飲ませたりとか、頭に冷やしタオルを置いたりといったサービスをするんです。
体が温まった後は、洗い場に連れていって、クリーン(座った状態でのあかすり)をやり、その後はマッサージ。それでマッサージが終わったらビールなどの飲み物を飲んでいただいて、最後はお見送りする。最初から最後まで一人の女性がフルコースでご接待させて頂くわけですよ。それがものすごくヒットするんですわ」
昭和35年にニュージャパンと名称を変更。世はまさに戦後復興から高度経済成長期。モーレツ社員、金の卵、接待族、などの言葉も生まれた。
「接待に適してるということで、社用族を中心にものすごくヒットしたんです。
他にもサウナはありましたけどそういうサービスはうちにしかなかったんですよ。その後、蒸し風呂がサウナになっていってからは、サウナはお客様に自分で入っていただいて、あかすりとマッサージから担当が付くようになりました。
普通のサウナでは女の子がマッサージしたらマッサージだけで終わってしまうけれども、着替えをお手伝いしたり、ドリンクのサービスをしたり、頭のセットのお手伝いをしたり。お客様へのサービス提供という面では多分にキャバレーで培ったサービス業的な思考がうちの会社にはあったんですわ」
そのほかにもリラックススペースにいるとタオルケットをかけてくれるなど、ホスピタリティあふれる惜しみ無いサービスでどんどん人気を獲得していったニュージャパン。順調に見えた経営だが、何度も危機的状況が訪れたという。