坂本弁護士一家殺害を自白
そして、1989年11月4日午前3時頃、神奈川県磯子区の坂本堤弁護士の自宅アパートに教団幹部6名で押し入り、就寝中だった坂本弁護士、妻の都子さん(同29歳)、それに1歳2カ月だった龍彦ちゃんを殺害。遺体を運び出すと、それぞれを新潟、富山、長野の山中に埋めて遺棄していた。
「3人殺したら、死刑だな」
犯行後、実行犯を再び集めた麻原は、刑法の条文を読み聞かせながら、そう呟いたという。
それから、およそ6年。95年3月の地下鉄サリン事件の直後に、教団施設への一斉家宅捜索が行われて、教団の凶行の実態が次々と白日のもとに曝されていく。その中で、坂本弁護士一家殺害事件も立件される。岡崎の供述した通りの場所から、3人の家族の遺体が発見されていくのだった。
余裕のある被告人
死刑なのか、それとも生きることが許されるのか。目の前で、裁判長が粛々と読み上げる判決理由を聞いている岡崎の背中は、硬くなって見えた。肩をすぼめるように、円くなってじっとしている。周囲に目をやる余裕などないはずだった。自分に死が訪れるかどうかの瀬戸際を、いまかいまかと待っているのだ。それが、もし、ぼくの立場だったら、と想像してみる。きっと、裁判長の言葉よりも、自分の心臓の鼓動のほうが重く耳に響いていることだろう。
それでも、初公判から見てきた法廷の岡崎には、どこか余裕があった。判決から遡ること、2年半前のことだった。
背が低く、なで肩、中年太りの入った岡崎の体格は、まさに円形を基調にして見えた。法廷に入ってくる時も、証言台の前で座って証言に臨む時も、背中を丸めて前屈みにしている印象が強い。それでいて、丸顔に髪を真直ぐに垂らした下から、上を覗き込むように正面を見据える切れ長の目の視線は、相手の様子から内面までを探って言葉を選んでいるように見えた。下手に出ながら、相手に取り入って、それでいて相手の心を掴んで、優位に話を進めようという、どこかで見覚えのあるセールスマンのような態度と話し方だった。事実、本人も職を転々としながら、営業の仕事を数多くこなしてきたことを告白していた。
岡崎は、起訴された事実関係を認め、検察が出してきた証拠もほぼ全てについて採用を同意。事件の共犯者の供述調書を検察官に全て読み上げさせると、そこから被告人質問に入るという、弁護側の法廷戦術をとってきた。