「今日からはね、君のひととなりを裁判長に知ってもらうために、話してもらうからね」
最初に主任弁護人が、そんなことを岡崎に話しかけてからはじまった被告人質問。まずは殺人を犯した岡崎一明という人物の生い立ちからはじまった。
それも、自分は不幸であったとする幼少期の話からだった。
暴露話もお手のもの
岡崎は、養子だった。幼くしてもらわれていったことから、しばらくは知らずに成長した。小学校の授業参観などでは、周りと較べて自分の母親だけが年とって見えることに違和感を覚えていたと言った。あるいは、こんなエピソードも。
「養父は短気で、例えば、すき焼きを食べても、お前は肉を食うな! と怒られました。これなら孤児院に入っていたほうがましだと思いました」
「住んでいた家は農家の蔵の2階でした。やっと一軒家に移れても、そこはいつも雨の降る度に床下浸水していました」
そんな具合に不幸話をあげつらう。ところが、それが傍聴席から、およそ不幸に聞こえないのは、岡崎の落ち着いた流暢なしゃべり方にあった。むしろ、不幸の自慢話をして、周囲の空気を和ませているようにさえ受け取れる。
そんな調子で幼少期、青年期を通り過ぎ、大人になって職を転々とする場面では、
「薬のセールスの仕事なんて、これほど楽な仕事はなかった。お役所の仕事より楽ですよ」
そう言って正面の裁判長の顔色を窺い、相手をニヤけさせてみせる。
「まあ、裁判所もお役所みたいなところですけど……」
とても、殺人事件の審理とは結び付かないような雰囲気を作り上げていく。
教団が東京・渋谷のマンションの一室にあった頃からの古参だった岡崎は、教団の草創期のこともよく知っていた。
だから、暴露話もお手のものだった。
空中浮揚と呼ばれる座禅を組んだまま空を飛ぶこともできる、あるいは過去も未来も見通せる、人の心を知ることもできるなどの、いわば超能力を身につけたとする教祖は、自らを「最終解脱者」と名乗っていた。それも、ある時、弟子たちからしつこく最終解脱とはどういう状況のことをいうのか問い詰められ、困った麻原が、横にいた側近幹部で事実上の愛妾だった女性信者に向かって、
「だって、俺って、最終解脱者だよなあ、ケイマ(教団内での女性幹部の名前)!」
と、問いかけて、女性幹部は黙って頷いた、というエピソードによるものだった。