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2020/10/31

source : 文春新書

genre : ニュース, 社会, 読書

岡崎は「自首」を主張していた

 いまはそんなことはなくとも、当時は信仰心から、麻原を解脱者と信じて、事件に至ったのだ。そう主張する岡崎にしてみたら、宗教上の決まりごとを破ってしまうこと、煩悩を否定して解脱を目指したはずが、欲望のまま、煩悩に溺れていたことを暴露されては、立つ瀬がない。

 ところが、自身の法廷に戻った岡崎は、調書にも記載のあるこの事実について触れないわけにもいかない。そこで、とって付けたように、こう言い訳している。

「麻原のところに懺悔にいきました。すると、麻原は、『お前たちにも、春が来たな』と、かえってひやかされました」

 淡々飄々とした話しぶりと、集団で殺人を犯す構成員には直結しづらい会話の内容ばかりが、すぐに記憶に浮んでくる。

 それだけ、岡崎に余裕があったのも、もうひとつ理由があった。

 岡崎は、「自首」を主張していたのだ。

 判決で自首が認められれば、減刑の対象となる。

 判決の中で検討される、この自首をめぐる攻防が、死刑の一線を越えるかどうかの鍵を握っていたのだ。場合によっては、坂本弁護士一家殺害事件を犯しても、死刑にならないことだってあり得る。

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 もとより、自ら進んで事件の真相を明らかにするのが自首なのだから、起訴された事件の事実関係になど争点があるはずもなかった。

 それだけに、この時の判決理由の告知は、裁判所が自首についてどういう判断をするのか、これを聞く側に予断を許さないところがあった。

林郁夫の判決

 この「自首」について、どうしても触れておかなければならないことがある。

 岡崎の判決の5カ月前のことだった。

 場所は東京地方裁判所。第104号法廷。

 3人が並んだ裁判官(これを「合議体」という)の真ん中にはYという眼鏡をかけた裁判長が座っていた。東京地裁には刑事第1部から第16部(当時)まであって、刑事被告人はそれぞれの部に割り振られていった。Y裁判長は、そのうちの刑事第5部の統括判事すなわち部長も務めていた。見るからに剛毛そうな頭髪を整髪料で光らせながら、自然な七三で分けていた。丸と四角がいっしょになったような顔だちをしている。

 その日は、地下鉄サリン事件の実行犯に判決が言い渡されることになっていた。

「開廷します」

 落ち着いた低い声だった。それでいてよく通る声だった。東京地裁で一番大きい第104号法廷にもよく響いた。

「被告人は、前へ来てください」

 そう言われて、被告人は裁判長の正面、証言台の前に立った。

「それでは、判決を言い渡します」

 そこにいたのは、林郁夫だった。