「主文──の言い渡しはあとにします。」
林郁夫は、死者12名を出した地下鉄サリン事件で千代田線を担当した。我孫子発代々木上原方面往き列車の車輛内で、サリンを散布している。この路線では霞ケ関駅の駅員2名が死亡していた。
それに加えて、目黒公証役場事務長を拉致して麻酔薬を大量投与して死亡させた事件(逮捕監禁致死罪)や、女性信者を教団施設内に監禁したこと(2件の監禁罪)、手配中の信者を匿うために整形手術と指紋消しの手術をしたこと(犯人蔵匿・隠避罪)、それに麻酔薬を密造した薬事法違反の罪でも裁かれていた。もともと、慶応大学医学部卒の心臓外科医だったことからすれば、それだけでも犯した罪は悪質だった。普通に考えても、死刑は避けようがなかった。
「主文──の言い渡しはあとにします。まずは、判決の理由から述べます」
ぼくが、主文の言い渡しを最後にした判決を聞くのも、この時がはじめてだった。
この被告人は、死刑になるのか……。そうすると、林郁夫がぼくの目の当たりにするはじめての死刑囚ということになる。その誕生の時が、いまかいまかと迫っていた。──が、しかし。
林郁夫は死刑にはならなかった。
その最大の理由は、「自首」にあった。
弁護側の鮮やかな法廷戦術
別件での逮捕、取調中に突如「私が地下鉄にサリンを撒きました」と告白。そこから、容疑者が特定され、事件の解明と教祖の麻原彰晃の逮捕へと結び付いた。これを裁判所は自首と認めたのだ。
裁判でも、林郁夫は最初から全ての罪を認め、検察側が出してきた証拠のすべての取り調べに同意して、まったく争う姿勢をみせなかった。まるで、生きることを諦めたように、裁判のなすがままに身を任せていた。死刑を待つだけの、ゆるやかな自殺といった印象すら傍聴席に与えていた。
そこに弁護側のとっておきの切り札が用意してあった。全ての罪を従順に認め、そして弁護側の立証に入ったところで「自首」を主張する。鮮やかな弁護側の法廷戦術だった。
そうなってよく考えてみれば、検察が裁判に提出した証拠も、被告人の自白したことが基調となっているのだから、被告弁護側にしたところで裁判に争いようがないわけだった。
検察をはじめ、捜査当局にとっても、林郁夫の自白は、オウム事件の全容解明と教団壊滅への突破口となっただけに、認めないわけにもいかなかった。普通ならこんな大事件で「死刑」を求刑するはずのところを、既に論告の時点で検察は「無期懲役」を求刑していた。死刑でなくていい、と認めてしまっていたのだ。
この日、裁判所の判決は、最後にY裁判長がこう宣告して終わっていた。
「主文。被告を無期懲役に処す」