そんな内情を披露しながら、
「それを聞いて、脱会した人がいた。私もその時にいっしょに脱会していれば……」
そういって、罪を犯した自身の不幸を嘆いてみせる。
あるいは、その女性幹部(愛妾)と教祖の本妻(麻原には妻子がいた)との組織内での間柄について、
「宗教者としてステージの高いはずの二人が、すぐに喧嘩をはじめる。それが理解できず、ある時、麻原に、『どうしてああなるんですか? 大丈夫ですか?』と聞いたところ、麻原は、『いや、上には上のカルマ落としがあるんだよ』と、答えてました」
この愛妾には、のちに麻原との間に子どもが生まれている。
関西弁でまくしたてるユニークな弁護士
斯くいう岡崎も、証人として呼ばれていった共犯者の法廷でのこと。この共犯者というのが、早川紀代秀(のちに死刑判決)というやはり教団幹部で、事件の実行にあたってはどちらが主導的な立場にあったのか、死刑回避にも影響する互いに重要なキーマンでもあった。忌憚のないところをいえば、実行グループの中で主導的立場にあったことを互いになすりつけて、死刑を逃れようというわけだ。
その早川の主任弁護人は、東京の弁護士会に所属しながら関西弁でまくしたてるこれまたユニークな弁護士だった。
「あんたは、昭和62年7月25日に解脱っちゅうのをするわけやな。それから1988年7月に独房修行に入るんやが、どないしてや?」
「それは、麻原から私の心が離れていると思われたのだと……」
「あんた! ケンメン(検察官面前調書)で何言うとったか、覚えてんのか あんた美人女性幹部と肉体関係にあって、それが麻原に伝わったからとちゃうんか 肉体関係あったんちゃうんか」
体裁が悪くとも、認めざるを得ない岡崎。
「それは戒律違反とちゃうんか」
「なることはなりますが、その時はですね……」
「なんや! 滅茶苦茶やったんか」
教団では戒律として禁止されていた女性信者との肉体関係を結んだ過去を暴露され、信者といいながらも信心がなかったのではないか、内心はもっと私利的でずる賢い奴なのではないのか、と正体を明かそうと追及されている。驚愕と失笑の入り交じった凄まじい法廷だった。(因に、この時の公判の訴訟指揮を執っていたのは竹崎博允裁判長。08年からは、翌年の裁判員制度導入を前に、異例の抜擢人事で最高裁判所の長官に就いている。傍聴席からも笑いの零れるやり取りを、当時は法壇の上から冷ややかに眺めていたのだった。)