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「宴会で顔見せ、気に入ったらそのまま…」三重に実在する“ヤバい島”には消防団も警察も「慰安」に来ていた

『売春島』著者・高木瑞穂氏を「文春オンラインTV」が直撃!

2020/11/01
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40代でも「若い」……女性たちも高齢化

――島の最盛期はいつ頃だったんですか?

高木 最盛期は1970年代中頃から80年代中頃ぐらいまでですね。90年代に入ってバブル崩壊した頃に、徐々に衰退していきます。最盛期にはホテルや旅館だけじゃなくて、喫茶店、居酒屋、ゲームセンター、手打ち時代ですがパチンコ屋も2軒あったそうです。あとはストリップ劇場。「ヌードスタジオ」と呼ばれる、劇場というよりは本当に小さなヌードを見せるシアターがあった。ポーカー喫茶や裏カジノもあった。裏カジノは1カ月ぐらいで、警察の内偵が入って終わってしまった。さらには穏やかな海を利用して競艇場をつくる計画まであったそうです。

“売春島”中心部の夜の様子(著者提供)

――現在の人口は200人ほどだそうですが、最盛期に島で働く娼婦の方は何人ぐらいいたのですか?

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高木 ネットには200人とか400人とか書かれているんですが、実際には60人から70人ぐらいがアクティブに働いていたそうです。

――女性たちの年齢層は?

高木 90年代初頭までは、10代の若い子から30代、40代までという感じだったんですが、その後は徐々に高齢化して、40代でも若いと呼ばれるぐらいの時代もあった。それに、東南アジア系の女性が多く島に入ってくるようになって、ほとんど東南アジア系の方で占められていた時期もあります。

置屋で顔見せをする売春婦たち(2009年、著者提供)

消防団や警察も「慰安旅行」で遊びに来た

――そういった女性たちは、どのようにして渡鹿野島にやってきたんですか?

高木 まちまちなんですけど、基本的に90年代ぐらいまでのヤクザが絡んでいた時代は借金の形に売られて……というケースが多かったみたいです。

――稼げるからこの島に集まってくるのですか?

高木 そうですね。バブル期は、消防団とか警察とか、そういう人たちがいわゆる慰安旅行として団体で来て遊ぶ、ということが行われていたので稼げたんですよね。女性たちが1人200万で売られるのがこの島の相場とされていましたが、大体1カ月もすれば全部借金が返せるくらい繁盛していたそうです。

観光客を出迎える島の看板(著者提供)

夜の海を泳いで命懸けで逃げる女性も

――女性たちは島でどういった生活を送っていたのですか?

高木 夕方もお客を取れるので、2万円で60分というプレイスタイルの「ショート」を宴会が入る夜7時ぐらいまで何人かこなす。その後、宴会に入って仕事をして、また何人か「ショート」をこなす。そして夜11時から朝までの「ロング」という4万円のコースで朝まで一緒に過ごす、というような感じですね。売れっ子は大変ですが、売れてないと1日1本とか2本しか入らない子もいたみたいです。