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造田博の生い立ち
造田博は事件を起こす4カ月前から、東京・北千住の新聞販売所で新聞配達員をしていた。
それが、事件発生7日前。朝刊の配達時刻に遅刻してしまった。勤め先で初めてのことだった。これをきっかけに、販売所の店長からの勧めもあって、彼は初めて携帯電話を手にする。
そして、事件5日前の深夜のことだった。突然この携帯が鳴り響く。
ところが、電話に出たところで、相手は何もいわずに切ってしまった。無言電話だった。
この出来事に激昂した彼は、アパートの玄関ドアに書き置きを張り付け、その場から姿を消している。そこにはこうあった。
『わし以外のまともな人がボケナスのアホ殺しとるけえのお。
わしボケナスのアホ全部殺すけえのお』
出身地の岡山の方言で綴られた書き置きだった。
岡山で暮らしていた高校生の頃だった。
造田の両親は、ある日、忽然と姿を消した。ギャンブルに興じた挙げ句に嵩んだ借金が原因だった。
独り取り残された実家には、連日のように金融業者が取り立てに押し寄せる。生活にも窮した造田は、やむなく高校を中退。広島にいた兄を頼り、そこから職を転々としながら上京、事件の4カ月前に新聞販売所にたどり着いていた。
そして、置き手紙を残して失踪した造田は、事件を起すまでの4日の間を、赤坂のカプセルホテルで過ごしていた。凶器となった包丁と金槌は、犯行現場の東急ハンズ池袋店で買い求め、そして、事件を引き起こす。