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通り魔との往復書簡
そこで、傍聴席のぼくは、被告人に手紙を書いた。
造田博教について教えて欲しい、と。
裁判への影響も考えて、証拠調べの実質審理が終了して、あとは論告と弁論、そして判決を待つだけとなった、01年6月のことだった。
それが、通り魔との往復書簡のはじまりだった。
最初に、東京拘置所からの彼の手紙が届いたのは、ぼくが手紙を送ったわずか4日後だった。
返事すらもらえないのではないかと思っていただけに、郵便受けに見つけた時は、奇妙な喜びがあった。
白封筒にボールペンで住所と氏名が書き込まれている。何処か幼稚さの残る細長い文字だったが、縦書きに丁寧に並べようとする努力の痕跡はそこはかとなく伝わる。
開封してみると、そこにはB5判の白い便箋に縦書きで、宛名と同様の文字が浮かんでいた。
それから、30通近くの手紙を彼から受け取ることになったが、いつも同じ白封筒にB5の便箋にボールペン書きの長細い縦書き文字が躍っていた。文面は長いものもあれば、便箋1枚で済んでしまうこともあった。
その詳しい内容や経緯については、あの当時のぼくがまとめた『池袋通り魔との往復書簡』(小学館文庫)に譲るとして、彼はそこにこんなことを書いていた。
例えば、彼が開祖した「造田博教」について。
【造田博教(仮名です。まだ決まっていません。)の内容について少し書きます】
と書き出されてから、まず次の一文が続く。