三師団長は作戦に反対
「こう情勢が悪くなると、どうやって持久戦をつづけるかということを、真剣に考えねばならない。退路をシナにとる。その前提として雲南をとりに行く。これがインパールに行く代りにならんか」
藤原参謀は話の腰をおられたと思っただけのようであった。なおも、しつこくインパール作戦の実行をくりかえし、たのみこんだ。稲田副長の話の、東向きの行動にはなんの関心も見せなかった。
稲田副長は反対の理由をかぞえあげた。
「牟田口司令官はやるやると目の色を変えているが、師団長の方はやる気がない。おれは三師団長に会って話を聞いている。その上、3人とも、軍司令官とは性格が合わない。これでは、いくさはうまくいかんよ」
弓第33師団の柳田元三中将は、はじめからインパール作戦は不可能だとして反対していた。柳田中将は学識ゆたかな教育者といった型で、牟田口軍司令官の実行型とは全く膚が合わなかった。柳田中将は稲田副長に、
「あんなわけのわからん軍司令官はどうもならんな」と、酷評した。牟田口軍司令官は、
「あんな弱虫はどうにもならん」
とののしった。柳田中将は、インパール作戦を中止すべきだという考えを持っていた。
また、祭第15師団長の山内正文中将も、線の細い知識人の型で、激戦場の指揮には向かないと見られていた。
今の案をなおしてこなければ、だめだ
ただひとり、烈第31師団長の佐藤幸徳中将は猛将として期待された。しかし、この場合でも、佐藤中将が激しい気性なので、強情の牟田口軍司令官と衝突すると、おさまりがつかなくなることが予想された。
このような人々を第15軍に配置したのは、陸軍次官の富永恭次中将の識見のない、無謀な人事行政のためであった。また、それを甘んじてやらせた東条陸相の思いあがった無反省のためでもあった。東条陸相は性格が偏狭で、人の好ききらいが強かった。人心操縦にたけた富永中将に次官の要職を与えたのも、そのためであった。そうしたことが今、第15軍の人事関係に危険なものを作りあげてしまっていた。こうした理由をあげて、稲田副長は結論をいった。
「どうしてもインドに行きたかったら、今の案をなおしてこなければ、だめだ」
こうして、中参謀長らの苦肉の手段も、稲田副長に阻止された。牟田口軍司令官もアッサム州進攻の計画を撤回するか、あるいは、しばらく時機を待たなければならなくなった。
ところがまもなく、稲田副長の身辺に意外な事件が起った。東条大将の怒りにふれたのである。