騒ぎを聞きつけたのか前田先生が職員室のある校舎から出てきて、彼らへ向かって歩いてきた。出てこなくていいのに。大きな怒鳴り声で厳しく生徒を威圧する先生は何人かいたが、前田先生はそうではなく、どちらかと言うと、授業をボイコットされたり、すれ違いざまに悪口を言われるような、生徒にいじめられてるタイプの先生だった。先生にしては身なりがだらしなく、毛穴が開いてしわの寄った何歳か分からない顔に気弱そうな茶色の瞳、よく煙草やコーヒーの臭いがしている。バーやスナックに入っていく姿を、生徒や父兄が何度か見かけたと聞く。
授業中に生徒が騒ぐとイヤミを言い反撃するのだが、それが案外攻撃力があってぐさっと来るので、生徒たちの恨みを買う。だけどもともとは、授業を妨害した生徒の方が悪いはずだ。熱血で暴力までふるうタイプの先生より、おとなしめの前田先生の方が、こうして卒業生に堂々としたお礼まいりを受けるなんて、何があったんだろう。
「お前がおれらのことどんだけバカにしとったか、気づいてへんとでも思ってんのか!」
「お前みたいな人間のくずが、先公いうだけで幅きかせやがって」
「町で会ったら絶対しめたるさかい、覚悟しとけよ!」
荒々しくフェンスを揺さぶりながらも絶対に敷地に入らない者と、絶対敷地からは出ない者が、フェンスといううすい境界を隔てて中学校という聖域で対立してる。
前田先生はフェンスをがしゃがしゃ鳴らしながら高校生たちが浴びせる罵声を、苦い顔でしばらく聞いていたが、やがて彼らにむかって手で追い払う仕草をしたあと、校舎へ戻ろうとした。
「死ねーっ」
高校生の一人がフェンスのすきまから石を投げ、先生の後頭部に命中し、先生がうずくまる。他の先生が前田先生に駆け寄り、高校生たちは歓声を上げて逃げ出した。
「久乃ちゃん知ってる? 昨日前田先生が学校で石投げられて、三針ぬったんやって」
次の日登校すると千賀子ちゃんが教えてくれて、なんとなくその場で見ていたと言いづらく、あいまいにうなずいた。
「石投げた犯人、逮捕されるんかな」
「うわさでは前田先生は被害届出さへんかったらしいで」
千賀子ちゃんの言葉に、おおごとにならずに済むんだ、とほっとしながらも、なんとなく不穏な気持ちを引きずったまま一限目の授業が始まる。シャーペンで数学のノートに元生徒たちのフェンスを揺らす姿をゴリラに似せて描いてみたけど、気は晴れなくてすぐに消しゴムで消した。
学校ではあまりに多くの人たちの感情がうずまいて、ときどきなにが普通か分からなくなる。私たちはたぶん、勉強のほかにもこの“普通”を学ぶために学校へ来ているけど、普通を学べば学ぶほど、自然な個性はなくなってく。どちらを選べば大人になったときに生きやすいのか。普通ばかり選んで来た私は、いまの時点ですでに息苦しい。