クラスメイトたちは小学生のころよりも、明らかに幼稚化している。あこがれのお姉さん、お兄さん的存在の高校生たちが、ブランド化されて好き放題にハジけているのも影響してるのだろう。写真を撮るとき、女子高生の間では手のひらをカメラに向かって突き出すポーズが流行っていたけど、中学ではうつむき気味の顔の横でピースして、わざと内股に見せるために脚をハの字にして立つポーズが流行っていた。派手な女子ほど、はにかんでる幼児みたいな様子で写りたがった。
書き文字も小学校で習った楷書体でなく、ぎりぎり読めるレベルまで崩した落書きみたいな字体が流行っていて、小学生の頃は習字の時間に美しい文字を書いていた子も、今では自分のノートを個性的すぎて逆にもうちっとも個性的じゃなくなった文字で埋めている。しゃべり方まで舌足らずになって、まるで大人になるのを全力で拒否しているような流行り全般に、私はもちろんついていけてない。
子どもっぽくふるまうくせに脅しだけは大人顔負けなあの子たちにはもうからまれたくない。足の紐の結び目に爪を引っかけるけど、よっぽど綸がきつく結んだのか、ほどけるどころかゆるむ気配もない。ピンセットでも歯が立たず、だんだん足首に目を近づけるために折り曲げてる背中が痛くなってきた。
これはもう、切るしかない。
ソーイングセットの小さなはさみを持ってきて、細い刃の片側を、紐と足首の間に通す。結んでくれたときの、私を見上げたときの綸の顔が頭に思い浮かんだ。
“久乃って呼んでいい?”
あのとき私は、はっきりとうれしかった。
※全文は、第一回は「文學界」2020年8月号、第二回は9月号(8月7日発売)、第三回は10月号(9月7日)、第四回は11月号(10月7日発売)に掲載しています。