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キラキラ夫婦が吊し上げ…「豚解体風呂」とホームレス記事“炎上”事件から考える言論の自由

2020/11/18
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14億人のお気持ちを害する原稿は「悪」か

 いわんや、私の他の仕事はもっとひどい。六四天安門事件を扱った『八九六四』などは、中国共産党と中国人民のお気持ちを害している。天安門事件の証言を聞くという取材姿勢は、中国国内の基準では道義的に大変深刻な問題がある。

 これはホームレスに「異文化」を感じて興味本位で接近して、自転車がピカピカであることに驚く記事と比べても、数千万倍以上の皆様のお気持ちを害する(※中国人民は14億人いる)。ただ、それならば天安門事件をルポすることが無意味かといえば、おそらくそんなことはあるまい。

 なお、華人系住民が多いカナダやオーストラリアなどでは、ウイグル問題や香港問題などの中国政府の政治的な問題を指摘する言説に対して「中国人に対する差別である」「著者はレイシストである」といった抗議が、中国人団体からしばしばおこなわれる。差別的言説の糾弾は、用い方によっては自分たちに不都合な言説を好き勝手に封殺し、発言者を社会的に葬れる武器にもなる伝家の宝刀だ。

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私は言論の自由を行使して、そんなものは気にしないで書く

「当事者に寄り添ってない」「他人事として観察対象にしている」といった批判も考えものだ。もちろんルポには取材対象者に対する愛があったほうがいいはずだが、そもそもホームレスに限らず、私たちにとって(自分の家族ですら)あらゆる人間は「他者」であり、その行動は「他人事」である。他者を客観的に観察・分析してそれを書く行為に、いかなる問題があるというのか。

 また、今回の“炎上”記事への批判がそうだったとは言わないが、ときに支援団体や政治活動家などが、自分たちの党派にとって不都合な言説を「当事者に寄り添ってない」というロジックで批判するケースもある。これは対象に「寄り添う」唯一の正しき存在たる自分たちが、自党派のドグマで事象の解釈権を独占したいという、グロテスクな欲望のあらわれだったりする。

 日本は一応、表現の自由が保障された国である。

 すなわち、生命身体に直接的な危害を与えたり、民事上刑事上で法的な責任を問われるような人権侵害をおこなったりしない限り、私たちには自分の思想信条を自由に表現する権利があるということだ。なので、私も言論の自由を行使して、誰かに不快な「お気持ち」を抱かせたりどこかの党派のメンツを潰したりすることは気にしないで原稿を書く。

 繰り返し述べるが、私は今回「炎上」したホームレス記事の水準は低いと感じており、積極的に読みたい内容とは思っていない。しかし、それが発表されることの自由や、「アウト」の基準を明示しない情緒的なクレームを受けても内容を変えない自由については擁護したい。

 なぜなら、語彙力の不足ゆえに「すごい」「びっくり」を連発する、キラキラしたクリエーター志望の夫婦が書いた「微妙」なクオリティの原稿の表現を守ることは、私自身も含めた他の記者やライターや研究者や、また出版社や大学の表現の自由や学問の自由を守ることとも地続きだからである。社会全体の風通しの良さを守る上で必要なことだと思うのだ。

キラキラ夫婦が吊し上げ…「豚解体風呂」とホームレス記事“炎上”事件から考える言論の自由

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