1967年(97分)/日活/2500円(税抜)/レンタルあり

 この十一月二十五日、河出書房新社のムック「文藝別冊」シリーズで渡哲也の特集号が発売されることになった。その中で筆者は、渡の俳優人生の総論と、渡と仕事を共にしてきたスタッフ・監督・キャストのインタビューを担当した。

 そこで、今週と来週は再び、渡哲也の魅力を堪能できる作品を紹介していきたい。

 これまで本連載では渡の主演作は少なからず取り上げてきた。が、それらはいずれも東宝や東映の作品。渡がデビューし、スターとして成長していく場となった日活の作品は『新宿アウトロー ぶっ飛ばせ』のみと記憶している。しかも、その時は悪役の成田三樹夫メインでの紹介だった。なので、ここでは日活時代の渡主演作を、と思う。

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 今回取り上げるのは『紅の流れ星』。若手時代の代表作の一つである。

 デビューから二年ほど、渡は「第二の裕次郎」という路線で、石原裕次郎の後を追うような売り出し方をされていた。ただ、渡は俳優としては不器用だったため、裕次郎のような軽やかさ、華やかさはなく、加えてそこはかとなく漂うギラついた感じが裕次郎的な善良性あるキャラクターを演じる上では邪魔をしていた。そのため、裕次郎とは異なる「渡らしさ」を日活は模索することになり、そしてたどり着いたのが本作だった。

 渡が演じるのは、殺し屋の五郎。とにかくニヒルな男で、冒頭から口笛を吹きながら車を乗り回し、そのままターゲットを射殺している。この、どこか悪のにおいすら放つ主人公像は、健全さが売りの裕次郎にないものだった。

 そして、何より新しかったのは、この五郎が「我慢」を全くしないという点である。当時の日本映画のヒーローというのは「ストイックさ」が魅力だった。敵に嫌がらせをされても耐え、女性には奥手。

 それに対し、五郎は全てが逆なのである。ムカついた相手を前にしたら後先を考えずに容赦なく殴り飛ばし、情婦とは嬉々としてセックスに臨み、馴染みの女がいるのに美女を見ればしつこく口説く。

 そんな不良性の強い役柄が、当時の渡にピタリと合った。

 いつもどこか退屈そうで空しい――そうした鬱屈と苛立ちを抱えながら、そのやり場がない。そんな等身大の若者の延長線上にあるようなヒーロー像が、渡の奥底に眠る情念や暴力性を呼び起こし、「第二の裕次郎」からの脱却を促す結果となったのだ。

 女に騙されて非業の最期を遂げるラストまで、徹底してアンチ・ヒーロー。それを生き生きと演じる渡の姿を現在の視点から観てみると、その後に訪れることになる飛躍の萌芽を感じることができる。

日本の戦争映画 (文春新書 1272)

春日 太一

文藝春秋

2020年7月20日 発売