法務・検察を大きな会社に例えると、大株主は国民(その代表である法務大臣)。序列第1位の検事総長は、その会社の主力商品の製造部門(検察庁)を束ねる代表取締役会長兼社長。次長検事は、秘書として会長を支える代表権のある副社長。検事長は代表権のある副社長兼工場長。法務事務次官は、代表権はないが本社の実務を仕切る社長候補の専務、刑事局長はそのあとを追うエリート常務というところか。
事務次官は、この法務・検察という「会社」の経営・企画、管理、財務、総務からシンクタンク機能までを担う事務部門の事実上のトップである。
多角化が求められた法務行政
1990年代後半、戦後の繁栄を支えた護送船団型のシステム運営は崩壊し、法務・検察は、ポスト護送船団型のシステムに適応すべく、組織も、人事も、仕事の内容も変えていかねばならなかった。従来の検察庁重視路線だけでは、国民の広いニーズに応えられない。いわば、法務行政の多角化が求められていた。それができるのは、事務部門のトップである法務事務次官だった。
黒川と林は2000年代の司法制度改革、刑事手続き改革を通じ、その国民のニーズをひしひしと感じ、それぞれが、法務・検察の運営刷新を考えていた。目指す方向はほぼ同じだったが、他省庁との一層の人事交流などで多角化を目指す黒川に対し、林は検察重視の路線は維持しつつ、司法と福祉の境界領域に光を当て、法曹資格を持たない佐々木聖子のような上級職の官僚の活用拡大を考えていた。それぞれの夢を実現するには、法務事務次官になる必要があったのだ。それゆえ、2人とも、そのポストを切望していた。
黒川は16年9月12日、周辺関係者に語った。
「検事総長は、プリンス林がなればいい。俺は次官で辞めていいと思っている。林が総長になれるよう、精一杯努力する。検察としては自分たちの人事に口出しされない方がいいに決まっているが、本来、法律上、検察の人事は、政治家が決めるものだ。捜査、公判への介入は駄目、という大原則の延長で人事に口出しするのも駄目、ということでこれまで来たが、それが曲がり角に来ている。それが今回の人事だった」