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「政治の介入を許した…」安倍・菅政権と検察庁との壮絶な人事抗争で生まれた深い亀裂

『安倍・菅政権vs.検察庁 暗闘のクロニクル』より #2

2020/11/27
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林の「心境」

 一方、林は、悶々としていた。人が変わったように、暗い表情を見せる時があった。

 刑事局長に就任して2年半。心身ともに疲れていた。刑事局長は、法務大臣の補佐役として、法案の審議や特捜部が摘発した事件などについて法相に代わって国会答弁に立つことが多い。スポットライトを浴びるリングで戦うボクシング選手のようなものだ。重要法案を扱う国会の審議はテレビで中継されることも多く、常に緊張を強いられる。

 黒川が5年務めた法務省官房長もロビーイングで飛び回る忙しいポストだが、水面下の折衝が主で、国会答弁などの表舞台に立つことは少ない。

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 法務事務次官は、原則、表舞台に立つことはない。林は、次官になってやっと緊張のリングから解放されると思っていた。ところが、法務・検察の人事案が覆ったことでもう一度、リングに上がれ、といわれた。あと1年務めると、刑事局長3年半。ロッキード事件のときの刑事局長だった元検事総長の安原美穂以来の長期勤務となる。あのときは、ロッキード事件に検察の組織を挙げて取り組んでいた。そのために人事を動かせない事情があった。

「15ラウンド、フルに戦って、さらに5ラウンドやれ、といわれた。まだやるのか」という気持ちだった。

林真琴氏 ©️時事通信社

 林は、司法制度改革の実務の一端を担い、司法の独立の重要さをより強く認識していた。人事課長、最高検総務部長などとして、大阪、東京両地検の特捜部の不祥事や、それを受けて行われた検察改革も取り仕切っている。例えば、小沢事件にからむ虚偽公文書作成などの容疑で告発された東京地検特捜部検事、田代政弘に対する検察の捜査が手ぬるいとして、民主党政権の小川敏夫法相が、指揮権を発動しようとし、野田佳彦首相がそれを阻止したことがあった。林はそれらの内情も承知していたとみられる。

 それゆえ、稲田以上に、「法務・検察人事の政治からの独立」に敏感だった。法務・検察首脳らが「1年で黒川から林に交代するなら、全体の人事構想に影響はない」と鷹揚に構える中、林だけは危機感を募らせていた。