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松永はスーツ姿で紳士的に対応

〈しかし、関係証拠から争い無く認められるように、松永の前妻との間の子供は松永の実子であるし、当時、松永が前妻から慰謝料を請求されることもなく、ましてや松永が離婚準備を進めていた形跡も皆無なのであって、松永の緒方に対する上記説明が、いずれも虚偽であったことは明らかである〉

 両親からの反対を受けた緒方が、松永にそのことを告げたところ、松永が両親と会うということになった。松永はまず緒方の母・和美さんに電話を入れ、佐賀県佐賀市にある料亭で、緒方を加えた3人で初めて顔を合わせた。スーツを着た松永は紳士的に対応し、2~3時間の会合だったが、和美さんは好印象を抱いたという。

※写真はイメージ ©️iStock.com

 続いて松永は福岡県久留米市にある料亭に和美さんと父・孝さんを呼び、そこでも懐柔を図った。やがては妻と別れて緒方と一緒になるという松永に対し、孝さんは賛成することはなかったが、松永と懇意になっていた和美さんは、交際を反対しなくなった。また、和美さんは緒方家の親戚に対しても、松永を評価する言葉を口にするようになっていた。

「和美(緒方の母)とも肉体関係を持った」

 こうしたなか、松永の発案で緒方の両親に対して、松永と緒方が婚約し、できるだけ早く結婚することなどを確認する旨の「婚約確認書」を、84年8月29日付けと同年10月29日付けの2回に亘って作成している。それには松永と緒方がともに署名をしており、松永の離婚後には一緒になる意思があることをアピールするものだった。

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小学生時代の松永太死刑囚(小学校卒業アルバムより)

 ここでの、松永と会ってからの和美さんの変化について、松永は逮捕後の取り調べで、和美さんとも肉体関係があったからだと主張している。それは日頃の和美さんを知る者からすれば、とても考えられないことであり、和美さんが亡くなり、事実を聞けない状況において、まさに“死人に口なし”ともいえる内容である。公判での松永弁護団による冒頭陳述では以下のように述べられていた。