「女と関係するときは自分の性欲を満足させるだけ」
この集落で小平は18歳まで暮らした。尋常小学校卒業後はしばらく実家で過ごしていたが、2年ほど東京に出て働いた後、実家に戻り古河電工で仕事を得た。その間、特に問題は起こしていないが、18歳のとき海軍に志願して以降、凶暴な一面が顔をのぞかせるようになる。
海軍の横須賀海兵団に配属となり、横須賀の色街で初めて女を知る。その後軍艦に乗艦し各地で女を買うようになった。本人曰く、日本人に似ているフランス人がお気に入りで、一晩で4、5回やったと逮捕後に警察で供述している。売春婦を買うばかりではなく、海軍時代には中国の大沽で、暴行殺人の萌芽ともいうべき強姦を犯している。供述によると、中国人の民家へ押し入り、まず父親を縛り上げて隠れている娘を出させ、強姦したうえで性器を切り取ったという。妊婦の腹を突き刺し、赤子を出したこともあった。そのような残虐行為を5、6人にやったという。軍隊時代の残虐行為は彼の心に宿っていた暴力性に火をつけた。
海軍除隊後、27歳で小平は最初の結婚をする。ただ他に女をつくり妊娠させたことが妻にばれ、結婚4カ月で妻は実家へ帰った。未練があった小平は妻の実家へ押しかけ、戻るように説得する。拒絶されると鉄棒を持って忍び込み、妻の父親を殺害し、他の家族6人にも重傷を負わせ殺人罪で逮捕された。懲役15年を言い渡され、小菅刑務所に収監された。
1940年、恩赦により刑務所を出所すると、1944年、前科を隠して再婚する。
その前年、小平はのちに国内で最初の暴行殺人を起こす大森の海軍第一衣糧廠に職を得ていた。東京への空襲が本格化すると、妻を郷里の富山へと疎開させ、小平は衣糧廠に住み込むようになる。
この衣糧廠時代、最初の犯罪を犯すまで、商売女から素人の女まで取っ替え引っ替えに情交を重ねた。供述調書の中で小平は性欲と女についてこう語る。
“女と関係するときは自分の性欲を満足させるだけです。ただ性欲を満たせばいいんです。女が満足しなくても構いません。その女のことはすぐ忘れてしまいます”