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抑えられない性欲が殺人の根底に

 当時の新聞に淫獣と書かれた小平だが、その性欲は止まるところを知らなかった。性欲を満たすだけでなく、女を犯した後殺意が芽生えるようになったのはどういう理由があったのか。

 人に殺意を覚えたのは、軍隊時代大連に駐屯したとき、付き合っていた女性が浮気し、殺そうと思ったのが最初だという。そのときは軍籍だったため思いとどまった。日本で犯した最初の殺人では、妻を取り戻すため、その父親を殺害した。軍隊時代に中国人女性を強姦し殺害したことからはじまり、殺人はすべて女絡みだ。抑えられない性欲が殺人の根底にあった。

 連続暴行殺人の幕開けとなる衣糧廠時代の殺人は、その施設で働く女性を口説いたところ、断られたことに端を発する。カッとなった小平は馬乗りになり女性の首を絞めると、その興奮で射精した。気を失った女性が蘇生するまでタバコを吹かし待った。息を吹きかえした女性は観念し、自ら服を脱いだ。その後関係を持ち、小平は強姦の発覚を恐れ、彼女に手をかけ殺害、施設の庭にあった防空壕に埋めた。1945年5月のことだった。

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 この事件では小平以外の男性に嫌疑がかかり、その隙に衣糧廠を辞めた小平は、栃木や都内で標的となる女の物色をはじめるのである。最初の暴行殺人で逮捕されなかったこともあり、強姦した女性を殺してしまえば事件は露呈しないという自信を得た小平は、これから約1年のあいだに、さらに6件の暴行殺人を重ねていくこととなる。

大森海岸三業地をゆく 

 小平が働いていた海軍第一衣糧廠はもともと「悟空林」という割烹で、戦中は海軍に接収され、戦後は米軍向けの売春施設となった。小平事件の現場から米軍の性欲処理の場へ。性を巡る因縁がついて回る。

悟空林付近 ©️八木澤高明

 京浜急行大森海岸駅の改札を出て、東の方角へと足を進めると、国道15号線が京浜急行の高架と並行して走っている。国道沿いにはマンションが建ち、大森海岸という地名とは裏腹に海は目にすることができない。先の大戦まで時計の針を戻してみると、この場所には絵はがきにもなった松林と海岸が広がり、景勝地として文人墨客に愛された。

 明治20年代に料理屋が軒を連ねるようになり、30年代になると芸妓屋が店を出しはじめ、「大森海岸三業地」と呼ばれるようになった。三業地とは、「芸妓屋」「待合い」「料理屋」が営業を許された地域のことで、警察によって指定された歓楽街である。芸妓屋とは、芸者を置いていた置屋のことで、芸者は純粋に芸を売るだけでなく、中には「不見転」と呼ばれ、相手かまわず体を売る者もいて、待合いは今でいうラブホテルのような役割も果たしていた。日本各地にあった三業地に売春はつきものであった。愛人のペニスを切断した阿部定が事件を起こしたのも、東京荒川区にある尾久三業地の待合いだった。

 ちなみに戦前のことであるが、私の母方の祖父は、ここ大森三業地に畳職人として出入りしていた。悟空林と関わりがあったのか、すでに祖父は亡くなっているので定かではないが、私に流れる血とこの土地との不思議なつながりを感じずにはいられない。