そもそも、転用などの手段を使う場合でも「低い周波数帯だけでは5Gとして実質的に使える帯域が狭い」と言うのが、現在の5Gだ。600MHzを使う海外の事例も、「600MHz帯は、確かにつながるが4G程度の速度しか出ない」と評判は良くない。5Gは魔法の技術ではない。4Gと同じ幅の帯域しか使えないなら、スピードが劇的に上がるわけでもないのだ。
5Gを5Gらしく「圧倒的な高速通信」として使うには、いわゆるプラチナバンドだけを無理に使うのではなく、今はあまり使われていない高い周波数帯を「贅沢に使う」のがセオリーだ。
ネットとテレビの大きな違い
なにより重要なのは、「では、テレビの周波数再編を今から、いつまでに、どのような形でやるのか」という判断だ。
テレビ放送の重要度は確かに下がっていくだろう。ネットでカバーできる部分が年々増えていくのも間違いない。では、「ネット」と「テレビ」を政策上どう位置づけるのか? 今はそこがはっきりしない。
通信事業者にとって、使える周波数帯はあればあるほどいい。だが、「どこをどう使うべきか」はきちんとしたグランドデザインが必要だ。
例えば、「Eテレの機能をすべてネットに任せればいい」という話。学校にも家庭にもネットが入り始め、確かにそれでカバーできる領域は増えるが、「ネットがない家庭」がまだ確実に存在することを考えると、それらの家庭への教育のパイプとして、「テレビさえあれば見られる」Eテレの存在は重要だ。
テレビさえ持っていれば低いコストで見られる地上波は、国民全てが見られる「基幹放送」であり、災害にも強い。
一方で、ネットはまだコストが高く、家庭での利用率は所得によって大きく異なる。日本の携帯電話ネットワークは諸外国に比べ災害対策が進んでいるが、それでも、放送ほど強くはない。
もし仮に、最低限の安定的な速度でのネット接続が電話などと同じく「生活権」に含まれて社会的にどんな人、地域、状況下でも担保されるのであれば、もはや放送への依存度は減る。コロナ禍で、教育や仕事にネットが必須である状況が見えた以上、日本が目指すのはその方向性だと考える。Eテレを含めた放送が「ネットだけでもいい」と思えるのは、そうなった時かとも思う。
通信はスマホやPCに限った問題ではない
ただ、ネットを生活権に入れるなら、どう制度的に担保するのか、インフラの整備はどうするのか、どのくらいの速度を必要とするのか、といった議論が必要になるが、今はまだ見えていない。