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連載昭和事件史

「お母さま、お許しください」部屋から聞こえたうめき声…名門華族の令嬢はなぜ血まみれになったのか

――「転向の時代」に起こった「岩倉靖子の自裁」 #2

2020/12/20
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かき消された靖子の死

「死をえらんだ公爵家の娘」は自殺の理由として、同時期に華族のスキャンダルが問題になっていたことを挙げている。この「昭和事件史」で取り上げた「ダンスホール事件」での吉井勇伯爵夫人・徳子(柳原伯爵家出身)らのことだ。

 確かに自殺の前日、20日の東朝朝刊には「果然、問題の柳原(義光)伯 宗秩寮で審議さる」という記事が社会面トップで載っており、21日付(20日発行)東日夕刊は「亂(乱)行華族に大鐵(鉄)槌 吉井伯夫人等から “華族の稱(称)”を除く」と報じている。「何故死へ?」という時事の記事も靖子の心情をこう推察している。

「折も折、不良ダンス教師検挙に端を発した華族の処分から、やがて宮内省が思想方面にもこの種の懲罰を加えるとのうわさに、かくては名門を誇るわが岩倉家も私一人のために――と、深刻な悔恨はついに自らを絶って……」

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 12月23日午後、靖子の葬儀は東京・品川の寺院でキリスト教式で行われた。母櫻子は昔からの熱心なクリスチャン。靖子はずっと背を向けていたが、獄中にいた時から帰依するようになっていた。しかし、同じ23日の朝、皇太子(現上皇)が誕生。24日の朝刊も祝賀記事のオンパレードで、靖子の葬儀のニュースはかき消された。

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【参考文献】
▽浅見雅男「公爵家の娘」 リブロポート 1991年
▽思想の科学研究会編「共同研究 転向 上」 平凡社 1959年
▽浅見雅男「死をえらんだ公爵家の娘」=「反逆する華族」(平凡社新書、2013年)所収=
▽千田稔「明治・大正・昭和華族事件録」 新潮文庫 2005年
▽「特高月報昭和8年7月分」
▽中澤俊輔「治安維持法」 中公新書 2012年
▽文部省思想局「思想調査資料」 1934年
▽「日本女子大学英文学科七十年史」 1976年
▽毛利基・池田克「防犯科学全集第6巻思想犯篇」 中央公論社 1936年

「お母さま、お許しください」部屋から聞こえたうめき声…名門華族の令嬢はなぜ血まみれになったのか

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