人生を賭けている奨励会員は、気迫が違う
成長するにつれ、将棋以外の道にも興味が湧き、自分が本当に棋士になりたいのか分からなくなってきた伊藤さんは、高1の夏休みに東京大学のオープンキャンパスに出向いた。都会にありながら広々としたキャンパスも気に入って、模擬授業も面白かった。東大に進学して興味のある文学を勉強したい。だいたい自分には「絶対棋士になってやる」という気持ちがない。人生を賭けてプロになろうという覚悟が欠けている。
伊藤さんは「棋士になるという覚悟を持たずに奨励会に入った当時の自分の甘さを責めたい」と、東大将棋部の部誌「銀杏の駒音」に書いたことがある。
それは甘いのだろうか。普通なら親は、子どもの可能性を広げてあげたいと考えるのではないか。子どものうちに将棋以外の道を断ってしまったら、困るのではないか。大半が10代前半で奨励会に入るけれど、その歳なら興味が変わって当然ではないだろうか。そんな質問を伊藤さんにすると、「いいえ、自分は中学生で奨励会に入っています。もっと考えてから入らないといけませんでした。心のどこかで自分には将棋しかないと思えないと奨励会ではダメなんです」と答えた。「将棋しかないと人生を賭けている奨励会員は、気迫が違う」のだとも。
才能も昇級スピードも特別な藤井二冠を指名
伊藤さんは奨励会を退会する決意をした。高1の9月、2級のときだった。杉本八段に話すと、高1で諦めるのはまだ早いのではないかと引き留められた。
「杉本先生にとっては突然のことで戸惑われたと思います。ただ辞めるのではなく、次の目標がなくてはいけないと考えて、東大を目指すことも伝えました」
そのあと、伊藤さんは一門の奨励会員が集まる研究会に参加した。ともに棋士を目指していた仲間たちとの別れ。誰と指したいか杉本八段に聞かれ、伊藤さんは中1で二段だった藤井二冠を指名した。「才能も昇級スピードも特別な子だと思っていたから最後に」と振り返る。伊藤さんと一番仲の良かった奨励会員が涙をこぼし始め、伊藤さんも泣いてしまった。そうして盤を挟んでいた藤井二冠も泣き出した。それが、藤井二冠が最後に人前で流した涙ではないかと杉本八段は後に語っている。
「温かい一門だなあ」感慨にふけりながら伊藤さんは伊勢に帰った。
伊藤さんは高校ではトップクラスの成績だったものの、首都圏の有名進学校と違い、学年で何番なら東大に入れるという目安がなかった。東大に特化した塾も近くにはない。
「東大を目指しますとは言いましたが、合格する自信があるわけではありませんでした。自分の学力で入れるのかよく分からなかったのです。高2になって、模試をいくつか受けてだんだん自分の立ち位置が分かってきて目指せると思いました」