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NiziUに韓国K-POPファンが抱く“2つの複雑な感情”〈韓国人評論家が寄稿〉

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もうひとつ、韓国ファンが複雑に思っていること

 もうひとつ、韓国のK-POPファンがNiziUについて複雑に思っていることがある。

 それはNiziUが成功したことで、日本人が「韓国のノウハウを導入しさえすれば、どの国でもK-POPのようなコンテンツが生み出せる」と思ったのではないかという点だ。そんな調子で刺激的に伝える日本の一部メディアの報道が、韓国でも伝えられているのだ。

NiziU公式Twitterより

 筆者は個人的に、日本のアイドル産業が短時間でK-POPと同水準に達することは難しいと考えている。これは日本のアイドルの水準を低く見ているというわけではない。そもそもアイドルとしての出発点が違ったのだ。

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親近感を前面に押し出した日本のアイドル

 日本のアイドル業界の歴史を振り返ると、大きな転換点は1980年代半ばではないだろうか。秋元康が主導した「おニャン子クラブ」の誕生を皮切りに、急激に業界が変化し始めた。

 親近感を前面に押し出す戦略で、疑似恋愛的な要素やファンダム(熱心なファン集団)文化を生み出した。同時に、ジャニーズ事務所の男性アイドルによるメディア制覇が加わって、日本では「アイドル=エンターテイメント」という概念が定着した。

 その流れの中で、90年代以降、SMAP、嵐、モーニング娘。などが日本におけるアイドルのイメージを代表するグループに成長した。

 2000年代に入ると、秋元康はおニャン子クラブの手法を生かしたAKB48を発足させた。「いつでも会いに行けるアイドル」をコンセプトに、握手会や劇場公演が導入され、アイドルは実力そのものが評価されなくても、夢は努力すれば実現できるというストーリーが重要視された。その夢を実現してくれるのはファンの資金力だ。

韓国でも人気のあった山口百恵 ©️文藝春秋

 その過程で日本のアイドルは、音楽やダンスなどの「テクニック」からどんどん距離を置くような形で成長してきた。70~80年代に山口百恵、松田聖子、中森明菜らの実力を評価していた韓国の音楽ファンから、いまの日本のアイドルに対して厳しい声が私の元に届く。これは、ある意味当然のことだろう。