音楽、ダンス…実力で認めてもらうしかなかった
これを克服するためには、人気だけでなく音楽の面で実力を兼ね備えるしかなかった。こうした流れの中で、K-POPのトレーニングシステムは高度化し、作詞作曲もアイドルが自ら手掛け、ミュージシャンとしての姿をアピールすることも増えてきた。
たとえばH.O.T.は、3rdアルバムからメンバー自ら作曲した楽曲の割合を増やし、5thアルバムは全曲をメンバーによる曲で仕上げた。解散までの5年あまりの活動期間中に作詞作曲を学び、一つのアルバムを自分たちの力だけで全て作り上げるまでになった。
ただそれでも、韓国国民の視線は好意的ではなかった。
アイドルに対する偏見がなくなり始めるのは、2000年代中ごろ、5人のメンバー全員が相当なレベルのボーカルやダンスの実力を持っていた東方神起の成功や、少女時代、ワンダーガールズ、KARAに触発された韓流ブームを通じてだった。
このように、韓国のアイドル産業はこの10年近く、大衆からの偏見に立ち向かう形で、幅広い層を納得させるために進化を繰り返してきた。
エンターテイメントとして、ファンとの関係性を築くことに注力してきた日本のアイドルの歩みとは方向性があまりにも異なる。韓国のファンがNiziUの実力について高い物差しを突きつけるのは、このような背景があるのだ。
NiziUは「K-POPか、J-POPか」
日本でも韓国でも、いまだに「NiziUはK-POPかJ-POPか」という議論がある。
「K」を「メンバーの国籍」と捉える場合、NiziUは当然日本人メンバーで作られているからJ-POP。しかし、「K」をコンテンツの特性に焦点を当てて考えるならば、NiziUのパフォーマンスや音楽スタイルはK-POPそのものだ。JYP所属という点まで加われば、NiziUがK-POPではないと否定するのは、なおさら難しくなる。
BoAや東方神起が日本に進出した2000年代前半から半ばには、彼らのコンテンツがJ-POPと呼ばれてもおかしくなかった。K-POPという言葉が広く知られる前であり、当時は歌手という“ハードウェア”こそ韓国人だったが、音楽とパフォーマンスという“ソフトウェア”はすべて日本のものだったからだ。
NiziUではソフトウェアが韓国の役割となった。当時のBoAや東方神起が、日本が主導したコンテンツであるためJ-POPと呼ばれたとすれば、JYPが主導したNiziUはK-POPと呼ぶのも不自然ではないだろう。