露天に並んだ中古のスニーカー「両足やで」
つまり、ワンカップのおっちゃんは字が書けない。それを役所で大っぴらにしなければならないのが苦痛で、生活保護を受けてアパートに暮らすより、空き缶を集めてアオカン(野宿)をするほうがいいということ。露店のおっちゃんが私にそんなふうに言う間、当のワンカップのおっちゃんはちらと上目遣いに私を一瞥しただけで、黒く深い皺を何本も刻む顔をぴくりとも動かさず、ワンカップの縁をちびちび舐め続けるばかりだ。そこへ、
「これ、なんぼ?」
と、通りかかったもう1人のおっちゃんが、露店に並んだプーマのシューズを指して、訊いた。もちろん中古。
「500円」と、露店のおっちゃん。
「高っ」
「何言うてんねん。ナイキやで。ブランドやから強いで。両足やで」
ナイキ違(ちご)てプーマやん、と言った私に、
「どっちでもええんや、ブランドもんやっちゅうこっちゃ」
と、露店のおっちゃんは言う。
高級ドヤの値段「狭いで、4畳。1日1200円。布団付き」
すぐ近くには、「旅館」の看板が揚がる、70年代の学生下宿のような木造の建物が数軒、軒を連ねている。
その1軒を覗いてみると、玄関先に共同の靴箱があって、靴を脱いで廊下に上がるスタイルだ。
「これが旅館?」と、当初何も知らなかった私には、単純に疑問だった。玄関先に人の気配はない。
「すみませ~ん」と呼んでみると、しばらくして入口右手の部屋の戸がおもむろに開き、
「はあ?」
と、白フリルのエプロン着用の年配のおばさんが出てきた。
「今日、部屋空いてます?」と訊いてみる。
「今はアパートやねん。しゃあけど、1部屋だけ空いてる。狭いで、4畳。1日1200円。布団付き。光熱費は別」
つまり、高級ドヤだった(ドヤとは、ヤドを逆に呼んだ、簡易宿泊所のこと)。部屋を見せてほしいというと、おばさんは渋々上げてくれた。
廊下の左右に4室ずつ。木の扉の向こうに、住人の気配があった。空き部屋は、窓はあるが薄暗く、テレビ1台と2つ折りにしたせんべい布団1組が置かれていた。
「旅館」時代は、町角で客引きするおねえさんがお客と利用したところだろうとピンときた。艶めかしい旅館だったろうと、共同洗面所の壁面に設えられた紫と薄緑の市松模様のタイルから、想像できる。
「う~ん、またにしますわ」
とおばさんに言って、出る。舌打ちと、「けっアホか」という声を背中で聞いた。