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「時間の問題だとわかっていました」異端の風俗雑誌編集長が明かした「エロ本、最後の戦い」

最後のエロ本編集者たち――ミリオン出版「俺の旅」生駒明編集長 #1

2021/01/24
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 まぁ、終わってスッキリしているところもあるんです。これで肩の荷が下りる。私も最終号と共にやっと死ねますよ。責任を取ってね。会社を辞めようかなと」

2003年に生まれた「俺の旅」

「俺の旅」は2003年に大洋図書の系列ミリオン出版(現在は大洋図書に吸収)で創刊された。男の旅先での娯楽である、地方の名産を喰らい、土地の女を抱くという昭和の社員旅行のようなコンセプトを持った情緒強めの旅情系雑誌。創刊編集長の比嘉健二氏からの誘いで当時若手のフリーライターだったイコマ氏が編集部に招かれると、翌年には実質的な編集長の役割を任された。

 当初は売り上げも芳しくなく、「次号が悪ければ休刊」という土俵際まで追い込まれたこともあった。そこでイコマは、自らが足で稼いだデータベースを駆使した「全国ソープランドMAP」を盛り込むなど、圧倒的な情報量を武器に結果を残すと、“本番至上主義”を前面に押し出す誌面構成で、エロ本業界に“イコマ在りや“の旗を立てる。全ページにわたりおっさんがメシを食い、おっさんが女を抱いて、その成果を文章とマンガでリポートする。欲望を極端なまでに隠さないこの雑誌は、2008年に最高部数8万部を発行するまでになった。

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©️iStock.com

 ただ、この雑誌が成立したのは、当時は全国各地に“裏風俗”と呼ばれる、ちょんの間や本サロなど個性豊かな非合法本番風俗店がまだ数多く残っていた背景があったからだ。それも2004年の歌舞伎町を発端に、やがて全国各地へ伝播していく浄化の波によって裏風俗は壊滅する。ダマしダマされ、たまの大当たりや、常識の範疇を越えた大スペクタクルロマンを経験させてくれた、ある意味でレポートのし甲斐のあった風俗産業も、その多くが“書きどころの難しい”画一的なデリヘルへと変わっていった。

 そして地方のネオンライトが消えるのと呼応するかのように、出版不況にエロ本の自主規制。表紙には「俺の旅」の生命線だったド直球すぎる見出しが婉曲な表現に変わり、リーマンショック後にごっそり広告が消え失せると、命綱の取材費も、3人いた部下も消えた。背中の夢に浮かぶ小舟に乗り、イコマはたった一人、アテのない“俺の旅”を続けることになった。