制作費がなければ自腹を切る
「ガマンの連続でした。どこの店にも忖度しないで、全国を旅しながら、各地の裏風俗を含む、“本当に優良な風俗店”をしっかり取材して紹介する。それがうちの存在意義でしたからね。制作費がないから、取材に行かず広告を出してくれた店の情報を“優良店”と掲載できたら楽ですよ。多くのエロ本はそうやって質を落としたんです。
だけど『俺の旅』は違う。誌面づくりに妥協したことはありません。記事の質には徹底的にこだわりました。制作費がなければ自腹を切る。移動は深夜バスにLCC。マンガ喫茶に宿泊して経費を切り詰めてでも風俗に行く。そして、悪いものは悪いと言い切る。何故って、読者が待っているからですよ。本当のいい店を風俗ファンに届けたいからですよ。風俗ファンの風俗ファンによる、風俗ファンのための雑誌。それが『俺の旅』なのですから」
それは編集長と媒体という関係性を越えていたのかもしれない。
「俺の旅」は、まるでイコマ自身の操を立てるかのように、決して権力に阿らない、民主的な風俗雑誌であり続けようとした。風俗に興味のない人からは目に映るだけでも不快なものであり、自分が日陰者であることは重々に承知している。
だからこそイコマには譲れない信念があった。「風俗は素晴らしいものだぞ! 風俗は楽しいぞ! 風俗で幸せになれるんだぞ! 拒絶する人がいるのも仕方がないが、それは、あなたたちが本当の風俗を知らないだけだ!」という信念が。「俺の旅」は、そんな“素晴らしい風俗”のありのままを伝えるための媒体だった。
しかし、だ。いくらカッコいい信念を元に“ありのままの裏風俗”を書いたところで、「日本では本番自体が非合法だろ」「裏風俗称賛って犯罪助長じゃないか」なんて突っ込まれたら、返す言葉などありゃしないのだ。結局は21世紀になってもあやふやにされ、お目こぼしされてきた性風俗の“あそび”の部分が、“イコマ師匠”というオンリーワンを生んだという自己矛盾をどこかに抱えていた。
編集後記に綴られたメッセージ
「でもそれこそが、一般庶民が享受してきた自由の証明なのです。風俗と聞いて、エロ本と聞いて、本番と聞いて、眉を顰めるご婦人らもおられるでしょう。子供には見せてはならないですし、風俗なんてその世界を知らない人が偏見で見るのはあたりまえですよ。
ただね、男も女も、生きていくためにそれが絶対に必要な人たちが一定数いる。僕自身が風俗に人生を救われた人間だからわかるんです。『俺の旅』には僕のような人間が生きていくために必要な情報が載っている。僕が風俗にいく度に『こういうものが欲しいな』『うれしかったな』と感じたものを集めましたから。それらに呼応してくれたファンは全国に山のようにいます。毎月、ハガキが来るんですよ。『唯一の愛読書です』『表紙をめくる瞬間が人生で一番楽しい』とかね、熱量が凄いんだ。バカにするかもしれませんけどね。そういう人らは、毎月毎月、『俺の旅』が出ることだけを楽しみにしていてくれた。