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《黙っていたから死刑なのか》オウム裁判「ひとりも殺さなかった男」にみる黙秘と判決

『私が見た21の死刑判決』より#32

2021/03/20

source : 文春新書

genre : ニュース, 社会, 読書

note

自首決意のきっかけ

 林郁夫が自白を決意するきっかけのひとつに、取り調べにあたった警察官の心遣いに感銘を受けたこともあったという。後に、当の警察官が林郁夫の法廷で証言したところによると、もともとエリートの心臓外科医であったことや、教団内でも“治療省大臣”と呼ばれる幹部の地位にあったことを加味して、被疑者でありながら林郁夫のことを「先生」という敬称で呼んでいたそうだ。最初は黙秘を貫いていた被告人への対応もあったのだろうが、頭ごなしに悪人扱いはせずに、話しやすい環境を作ることに気を使ったという。よもやその時点で、サリンを撒いた実行犯だとは思ってもみなかったが、そうした対応に林郁夫は心が揺り動かされたと言った。信頼関係が自供を引き出したのだろう。

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 しかし、そこでもまた、横山によれば裏切られ続けたことになる。

 因に、林郁夫とまったく同じ戦術をとった岡崎一明の法廷にも、取り調べにあたった神奈川県警の警察官がやってきたことがあった。坂本事件の自白を受けた後に、岡崎を中国に送り出したことについて、「彼ならきっと帰ってくると信じていた」などと証言して、裁判長の顰蹙をかっていた。やはり、担当する警察官の力量の違いがあることは、避けては通れない現実だった。

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 そこにもまた横山の不運があったのか。いや、人を殺そうとしておいて、取調官が悪いなんて言い訳にもならない。

 犯行の場面に及んでは、横山に殺意がなかったとはいわない。サリンの毒性を認識していなかったと主張する横山ではあったが、判決では犯行に至るまでの経緯から、犯行状況においてもサリンの毒性の認識はあったとする。2袋のうちの1袋しか穴を開けられなかったことも、横山の能力のなさからきたものなのだろう。判決では、もうひと袋を突こうとしたところで、降車する人の波に押されてうまく突くことができなかったという取り調べ時の調書を引証して(この取り調べが違法なのだと横山は主張していたのだが)、明らかな殺意があったと認定する。