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行政の中心「盛」と港町の「大船渡」で発展してきた
ここで少し歴史を調べてみる。すると、盛という町は古くからこの一帯の中心だったようだ。
近世までは盛街道という盛から内陸の水沢までを結ぶ街道も伸びていて、その宿場町として栄えた。さらに近代以降も気仙郡の郡役所が設けられたのも盛の町だ。大船渡市といいながらターミナルが盛と名乗るあたりに疑問を覚えたが、むしろ盛がこの町の中心。対して、大船渡は大きな船が着く場所という由来を持つ港町だ。実際、大船渡線の大船渡駅は盛駅から少し南の海側にあった。
明治時代には三陸各地を結ぶ航路・三陸汽船の定期寄港地にもなっていて、重要港湾としての整備も進んでいった。とにかく、古くからの行政の中心である盛と港町の大船渡がツートップとして、この町は発展してきたのである。
盛駅のもうひとつの姿
歴史を知ったところで、もう少し盛駅を歩こう。駅から線路をまたいだ東側に向かっては駅舎の横から立派な跨線橋が通じている。その跨線橋を渡ると眼下に盛駅の構造がよく見える。
駅舎に面した西側にBRTの専用道路と乗り場(つまりホーム)があって、三陸鉄道のホームは東端。いま、列車がくるのはこの三陸鉄道のホームだけである。ところが、さらにそこから東に向かっても線路がいくつも並んでいるのだ。
それだけなら終着駅らしい車両基地なのかなと思うところだが、それらの線路の上には何やら黒くて無骨な風体をした貨車が並んでいる。何かを積んでいる様子はないが、とにかくたくさんの貨車だ。最初にBRTを降りたときにはすぐに駅舎に入ってしまったので気が付かなかったが、駅舎の裏側にはたくさんの貨車が並ぶ。これが盛駅のもうひとつの姿であった。