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津波が押し寄せた三陸鉄道リアス線…“あのローカル終着駅”「盛駅」は10年後どうなった?

2021/03/11
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貨車群の正体

 

 このたくさんの貨車群、持ち主は三陸鉄道でもJRでもなくて、岩手開発鉄道という貨物路線専門の鉄道会社のものだ。大船渡の町の山奥にある鉱山から海の近くにある太平洋セメントの工場まで石灰石を運ぶのが岩手開発鉄道の役割だ。ちょうどその途中に盛駅がある。岩手開発鉄道は1950年に盛~日頃市間で開通したのがはじまりで、1957年に海側の赤崎まで延伸。1960年には日頃市~岩手石橋間も開通している。

岩手開発鉄道(日頃市方面)
 

 基本的には貨物専用だったが、盛~岩手石橋間では旅客営業もしていたという。旅客列車は1992年限りで走らなくなってしまったが、その当時の岩手開発鉄道盛駅のホームが片隅に残っていた。車両1両も停まればいっぱいになりそうな小さなホームに小さな待合所。メインが貨物輸送なのでしょうがないが、三陸鉄道やJR大船渡線との乗り換えはどうしていたのだろうか。件の跨線橋は、岩手開発鉄道のホームとはずいぶん離れたところにあった。

三陸鉄道の“はじまり”の場所

 

 跨線橋を渡った先の東側も、ほとんど住宅が建ち並ぶ市街地が続く。人口約3万5000人という小さな港町・大船渡だが、そこで暮らす多くの人がこの盛駅から海側の大船渡駅付近に住んでいるということなのだろうか。ただ、町を少し歩いてもクルマは通るけれど人通りはほとんどない。盛駅前に戻って三陸鉄道の列車を待っていても、やってくる人も少ない。せいぜい、三陸鉄道に乗りに来たような旅行者ばかりだ。

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 2011年の東日本大震災では、海側の大船渡駅は津波に呑まれてしまった。内陸の盛駅はそこまでの被害は受けなかったが、それでも駅構内に津波が押し寄せてきたという。そして震災後に大船渡線から列車は消えた。それでも、三陸鉄道の“はじまり”の場所としては今も健在だ。三陸鉄道というと、ラグビーの町・釜石や海の幸でおなじみの宮古、そして『あまちゃん』の久慈がよく知られる。だが、三陸鉄道のすべてがはじまった盛の町も、忘れてはならない。

 

写真=鼠入昌史

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