日本の敗戦から間もない時期には、いまでは到底考えられない犯罪が起きた。
今回取り上げるのは、本来華やかな歌舞伎界の大スターが、「食い物の恨み」などから同居していた男に妻子ともども惨殺された事件。当時の食糧難を端的に表した犯罪とされる。被害者と加害者の事情を見ると、空襲による家屋と家族の崩壊、学童疎開、工場動員(徴用)といった、戦時でなければあり得ない条件がそろっており、事件は一面で戦争被害の縮図といえる。
戦争は社会と個人にすさまじい被害をもたらし、その傷痕は深く長く残る。今回のような事件にも影響は顕著で、広い意味でこれも戦争の惨禍だろう。今回も必要上、「差別語」が登場する。
「薪割で5人滅多斬り」!
「仁左衛門一家殺さる」(朝日)、「“仁左”一家惨殺さる 薪割(まき割り)で五人滅多斬(めったぎ)り」(毎日)、「仁左衛門一家五人殺し 金か痴情か 逐電(ちくでん)した同居人」(読売=当時の表記は「読売報知」)。1946年3月17日付各紙はこんな見出しで事件を報じた。
敗戦から7カ月。新聞は朝刊のみ2ページ建ての時代。扱いは3紙とも顔写真入り2面3段だった。比較的分かりやすい毎日を見よう。
16日午前11時ごろ、(東京都)渋谷区千駄ヶ谷3ノ496、歌舞伎俳優・片岡仁左衛門丈=本名・片岡東吉(65)=方に、とし子夫人(26)の母堂、吉田かよ子さん(50)が訪れたところ、八畳の居間で、仁左衛門丈、とし子夫人、次男・三郎君(2)の親子3人のほか、同家の子守り・岸本まき子さん(12)、同女中・榊田はるさん(69)がまき割りで頭部その他をめった切りにされたうえ、5つの死体を一緒にしてその上に布団を掛けてあるのを発見、所轄原宿署に届け出た。現場の八畳に飾られていたひな壇と唐紙も凶行の返り血を浴びて朱に染まっていた。凶行は前夜午前2時ごろ、同家の就寝中に行われたもので、まず八畳間で仁左衛門親子3人を殺し、別室四畳間で岸本、榊田さんを殺したうえ、二人の死体を八畳の間に運び、一緒にして布団を掛けたものである。なお、同家庭先には凶行に使った同家のまき割りが血まみれのまま遺棄されており、室内はかなり物色した形跡や、省線(現JR)寄り四畳半のガラス戸から人の出入りした跡も見られ、一昨日払い出した郵便貯金600円が紛失していることも分かったが、捜査当局は2歳の三郎君まで鏖殺(おうさつ=皆殺し)している残忍さから、原因は怨恨説が有力である。一方、前日までいたといわれる同居人の大阪市浪速区西関尾町71、森田こと飯田利明(22)の姿がないので、当局では同人に事件の手掛かりを求めて追及中である。
1946年当時の600円は2019年の貨幣価値に換算すると約2万4000円。事件の筋立てについて、踏み込み方が新聞で違う。最も踏み込んだ読売の記事末尾は――。