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「ドライバーが体に入った感触があるんですよ。ちょっと動かしたらすごい血が出たんだよね」 半グレ集団「怒羅権」元幹部が語る“初めて人を刺した日”

「ドライバーが体に入った感触があるんですよ。ちょっと動かしたらすごい血が出たんだよね」 半グレ集団「怒羅権」元幹部が語る“初めて人を刺した日”

『怒羅権と私 創設期メンバーの怒りと悲しみの半生』トークショーより#1

放置自転車で仲間を助けに行った

汪楠:葛西には「常盤寮」っていう帰国者の聖地のような場所があるんです。中国残留邦人の受け入れ施設でもあって、そこに半年ぐらい2世が1世たち家族と滞在して、そのあと都内全域に散らばるんです。その寮の1階のホールにあるピンク色の公衆電話に、全国で暮らす同じくらいの年代の2世たちから電話が来るんですよ。自分たちがその電話を取ると、例えば「葛西中学で一緒だったけど、今足立区に引っ越していじめに遭ってる」「腕が折れた」とか、いじめられた怒りを訴えるんです。それを聞くと、仲間を助けに行こうと考える。

 でも、その移動手段がないんですね。隣の区まで歩くのは結構体力が要りますし。お腹もすかせてるからね。そんなときは放置自転車で行きました。もう鍵は壊れているし、乗ってもいいだろって。

草下:昔はいっぱいありましたからね。

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汪楠:運悪くお巡りさんに捕まったら、「あんた盗んだでしょ」「いや、そこにあった」っていう話をして、警察署に連れて行かれる。それが学校の先生に知らされて、「非行少年だ」って扱いになる。

©藤中一平

家庭の事情でグレたヤンキーと、ファッションだけのヤンキー

草下:もし給食がなくても、学校に行っていましたか。

汪楠:行かないね。

 喧嘩してくうちにヤンキーが2種類いるのに気付きました。家庭の事情でグレたやつはめちゃくちゃ本気でくるけど、喧嘩が終わったら友だちになれる。ファッションだけでチャラチャラしてるやつは、やられると「勘弁してください」ってお金をくれるんですよね。

 そうやって日本人と接点ができると、喧嘩だけじゃなくなるんです。喧嘩相手にくっ付いてくる女の子たちが「えー、あんたたち面白い」とかって、寄ってくるようになったんですね。で、友だちになる。コミュニケーションってそんなに言葉は要らないんですよ。それで、「お腹すいてる」とかそんな話してたら、日本人のヤンキーというかちょっとグレたやつが万引きを教えてくる。そこから犯罪の始まりですけど。

©藤中一平

草下:弁当を盗めばいいじゃん、って言われるんですね。

汪楠:「怒羅権」を定義するのは難しいですけど、弁当を盗むレベルの犯罪から、一種の犯罪集団に変質したのはその後です。初めにいじめられて、暴力に抵抗するために暴力を使い、チャラチャラしてるヤンキーを殴ってお金を取る。暴力から利益、お金が生まれるっていう、それが変質の始まりでした。