できることをぎゅうぎゅうに押し込んだ、2020年代の銭湯
ぼーっとした頭で、帰りにどの店で一杯やるか、思いを馳せる…。その前に、まずは番台でクラフトビールだな。全体的にコンパクトながら特徴を完璧に生かした設計と動線。銭湯としてできることをぎゅうぎゅうに押し込んだ、まぎれもなく2020年代の銭湯がそこにはある。
黄金湯を営むのは、新保卓也、朋子夫妻。リサイクルショップを営んでいた二人が突如銭湯を経営することになり…。新保夫妻の人生も、波乱万蒸だった。
家業の風呂屋を急遽継ぐことになって…
新保卓也(以下卓也) 僕、次男なんです。長男がいて、銭湯は兄が継ぐ予定だったんです。大黒湯をする前は、一部上場会社でOA機器の営業職についていました。そこの上司が岡山で独立するというので呼んでもらって、会社もどんどん大きくなっていったんですが、最終的には自分で経営をしたいと思っていたので、東京に帰ってきたんです。私は次男坊で実家の風呂屋は継げないので、小さい頃から会社を作りたいという思いがあったんです。それで27の時リサイクルショップを始めて。3年で3店舗まで持つようになりまして。
新保朋子(以下朋子) 実は私、その時シングルマザーで。卓也さんのお店の中に一坪ショップがあって、私はその場所を借りていました。そしたら夫に「働かない?」みたいな感じで誘われて(笑)。週2ぐらいだったら働けるからと。結果、働いている間に結婚までしました。
卓也 その時はお風呂屋を経営するとか、そういうことは全く思っていなくて。このまま今の商売を頑張っていこうという決断をして、お店の近くに家を買ったんです。
後継者だった兄の選択
事業承継は、創業者が守り培ってきたプライドと、新たなものに挑戦しようとする後継者との間で時には軋轢を生むこともある。家業を継いでいた卓也氏の兄は、他にやりたい事ができて銭湯を辞めてしまう。
卓也 当初長男である兄が大黒湯を営業していたのですが、『自分は自分のやりたいことがあるので、この仕事を続けられない』ということになって。父は病気で寝たきり状態でしたので、結果、母と祖母で銭湯を経営していくことになりました。公衆浴場の世代交代って結構大変なんです。ほとんどが個人事業主ですし、今まで何十年と自分の力で頑張ってきた公衆浴場として、創業者のプライドもあるから、なかなか次の世代に上手に経営を渡せなくて。結局跡継ぎが続かないというケースも少なくないんです。次の世代はやりたいことが色々あって、こうできたらいいのに、っていう思いはありながら、先代は変化を嫌って新しいことに挑戦できなかったり、思い描いていた世界と現実とのギャップも大きかったり。そういう環境の中で、兄は悩みながらも自分の人生の選択をしたんだと思います。
残されたのは90歳のおばあちゃんと、母。父は病気でほぼ動けない状態でしたから、動けるのがその2人になってしまっている状況だと私たちは聞いて。当時は私たちも商売を営んでいましたし、籍を入れる直前で、念願の家も買ってという状態で結構バタバタしていたんです。でも心配だから店が終わった後に掃除だけでも行こうよっていって、子供が寝付いた後にふたりで掃除だけ手伝いに行っていたんです。次第に入る時間が長くなっていって、最終的には私たちがやるような形になりまして。購入した新しい家には1日も住むことはなく、子供の引っ越しや転校手続きをしたりとか色々と大変でした。でも実家でもあり、先代が築いてきた銭湯を遺したいと思い、継ぐことを決意しました。