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「小学校の校庭や農家をホテル代わりに…」米兵相手の“派手な服の女性”だらけになった山形の町の戦後史

『青線 売春の記憶を刻む旅』#2

2021/04/03
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小学生が教室から目撃することも…

 続けて、どこでこの店のことを知ったのかと、尋ねてきた。寿司屋のことは告げずに、この町で聞き込みをすると、誰もがここの名前を出したと伝えた。私の言い分を聞くと彼女はそれ以上尋ねてこず、ぽつりぽつりと話し出してくれた。

「この建物は米軍がいた頃のものだけど、私が店をやりはじめたのは1968年で、米軍はとっくにいなくなってからだからね。米軍が来た頃、私はまだ学生だったから、そんなに昔のことに詳しいわけじゃないのよ」

 パンパンたちがここ神町に増えはじめたのは、朝鮮戦争がはじまってからのことだ。パンパンたちは小学校のまわりの農家をホテル代わりに使ったのだが、木陰で米兵と乳繰り合う者もいたという。

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 彼女たちは米兵たちと連れ立って歩くだけでなく、小学校の校庭を仕事場にする者もいた。朝になるとコンドームが校庭のそこかしこに落ちていて、子どもたちが登校する前に、それらの落とし物を拾うのが教員の朝の勤めだったという。時に、あからさまな性行為を小学生たちが学校の教室から目撃することもあり、影響を受けた小学生の男子が同級生の女子に対して暴行事件を起こすほど風紀は乱れていた。

©八木澤高明

「アメリカ兵とあそんでいる女の人ばかり大きくなって」

 当時の小学生が書いた作文が町史にのっていたので一部抜粋したい。

《今は、神町とはパンパン町といわれています。ぼく達(原文のママ)が大きくなったならば、今アメリカ兵とあそんでいる女の人ばかり大きくなってくらしていて、ぼくたちは小さくなってくらさなければならなくなったらぼくはこまります。

 それでぼくは大きくなったら東根町長になって神町を平和な神町にしたい。そしてパンパンなんていうやつは、みんなどっかへやって、神町は平和な町にする。(中略)

 そして、今はパンパン町といわれる神町にしたのは、大人の人が戦争をしたためだと思っています。それでもアメリカが来たため、駅が大きくなったりしたけれど、やっぱり東根町はそんしている。ぼくは、そう思っています。アメリカさえ、えねごんたらなあ……。〈小5男〉》

 小学生の作文からもわかるように、村はパンパンだらけとなり、住民たちもはじめは米兵相手に商売をするパンパンたちをパン助などと呼び蔑んでいたが、米兵たちがもたらす現金の魅力には抗えず、藁葺き屋根の上にピンクや赤の看板を立てて、進んでパンパンたちを招いて部屋を貸すようになった。神町の風景の中でパンパンは日常の風景になっていった。