崩壊する「暁に祈る」のイメージ
この後に出た「週刊朝日」5月1日号は「“吉村隊”の底に流れるもの」という特集で座談会を載せた。出席者は安倍能成・学習院長(元文相)、戒能通孝・早稲田大教授(のち弁護士)らそうそうたるメンバーと元吉村隊員。
そこで最初に池田を告発した元隊員・笠原金三郎は「最初朝日新聞に出た吉川と言う隊員の記事ですが、『暁に祈る』のリンチを受けて死んだ人々の墓標がシラカバの林のごとく立っていたというようなのは誇張しすぎています」と発言。問題に火をつけた1人の清水正二郎氏も「『暁に祈る』が裸でやらされたということも誇張です。実際は防寒具は着けていたんです」と述べている。
国会喚問などを通じても、凍死を意味する「冷凍人間」など、数多くの「目撃証言」はほぼ全てが伝聞だったことが判明。この時点で当初の「暁に祈る」のおどろおどろしいイメージは崩壊していた。しかし、いったん人々に植え付けられた記憶は簡単には薄れなかった。
参院特別委は再び同年5月6日、元隊員ら4人を証人喚問。そこで、池田らが「石切り場で隊員を殴り殺した」と証言した元同隊の渡辺廣太郎・元軍曹は「全く覚えはない。人違いだ」と否定した。
一方、朝日は5月7日付で、東京地検特捜部が基礎調査で全国に手配した事件報告の結果、「吉村隊の異状死(残虐による死亡)とみられる氏名が5名、また“暁に祈る”などの直接被害者20名が明らかにされ、残虐事件の真相はその後、一段と生々しい姿となりつつある」と報道。
5月8日付では、検察当局が首脳部会議で検討した結果、「容疑は十分」との意見で一致したと伝えた。5月10日、国会証言で偽証罪告発がうわさされていた渡辺元軍曹が自宅のある栃木県・黒磯町の山林で首つり自殺。「暁に祈る」事件はついに新たな死者を出すに至った。5月22日、参院特別委の委員長が本会議で吉村隊事件の「中間報告」をした。23日付朝日は次のように書いている。
「死者、2人はいた」
▽(吉村隊の)死亡者は作業場などでの外傷によるもの十数名、内科的疾患によるもの二十数名である
▽処罰の種類は殴打、減食、留置場入り、屋外留置などだが、「暁に祈る」で死亡した者が確かに2名はあった
▽全部が外蒙側の命令とは認めがたい。吉村隊長の責任は免れない
▽吉村隊事件は指導者の専断とそれに属した弱者虐待事件である
その後も問題は尾を引くと思われた。だがこの年、7月5日に下山事件、7月15日、三鷹事件、そして8月17日には松川事件が起きる。人々の関心の変化も早くなっていた。7月1日付朝日「声」欄には「吉村隊その後」の見出しで「いつの間にやら新聞紙上からシャボン玉のように消えて」と嘆く投書が載った。そして7月14日――。