2021年3月9日、C級1組順位戦最終戦。高見は勝てば昇級という一番を迎えていた。佐々木はすでにB級1組への昇級を確定させていて、ここで彼に離されるわけにはいかない。
高崎一生七段との将棋は終盤までは高見ペースだったが、大事な局面で緩手を指してしまった。私は将棋連盟で見ていたが、高見が敗勢になったところで帰宅した。彼にどう慰めの言葉をかけようかと考えながらネット中継を見ていたが、高見と昇級を争っていた船江恒平六段も逆転負けして、高見に幸運が舞い込んできた。
私は石田和雄九段門下の勝又清和。佐々木勇気七段と高見泰地七段の不肖の兄弟子だ。二人が奨励会に入会する前から、泣くところも笑うところも落ち込むところも喜ぶところも見てきた。
佐々木との出会いと小学生名人戦
2002年、石田一門の研究会に二人の小学生が入ってきた。それが小学3年生の三枚堂達也と小学2年生の佐々木勇気だった。二人は幼少の頃から師匠が経営する千葉県柏市の柏将棋センターで切磋琢磨してきた。
三枚堂は祖父が懇意にしていた内藤國雄九段にすすめられて将棋を覚え、内藤のすすめで柏将棋センターに通い出した。そして、三枚堂は別の教室で仲良くなった佐々木を柏に連れてくる。これが石田と佐々木の運命の出会いだった。当時は石田門下のプロ棋士が私だけだったので、指導対局のように2面指ししていて、佐々木や三枚堂ともたまに指した。佐々木は師匠譲りの本格派の早見え早指しで、ぐんぐんと強くなっていった。
2004年の小学生名人戦、佐々木が埼玉、三枚堂が千葉、やはり研究会に参加していた伊藤沙恵現女流三段が東京都下と、3人が県代表になった。会場で東日本大会の予選を見て驚いた。とてもレベルが高いのだ。出場者には、神奈川代表の永瀬拓矢現王座、栃木代表の長谷部浩平現四段、三重代表の石川優太現四段と、後の棋士5人・女流棋士1人が代表に名を連ねていた。そして、佐々木と伊藤が東日本代表になった。
西日本大会も、岡山代表が菅井竜也現八段、大阪代表が斎藤慎太郎現八段、長崎代表が佐々木大地現五段とすごいメンバーが揃っていて、菅井が西日本代表となった。
4月某日、師匠から「勇気が優勝したよ!」と電話がかかってきた。決勝はNHKで放映されるのだが、師匠はスタジオまで見に行っていたのだ。佐々木は準決勝で伊藤に、決勝で菅井に勝って栄冠を手にした。小学4年生での優勝は渡辺明名人以来、史上2人目の最低学年記録だった。